ということで前号の続き。昨夜はまず最初に、芥川也寸志の「交響三章」(1948)と「武蔵坊弁慶」(1986)を聴いた(作曲者指揮の新so。フォンテック盤)。

 芥川は伊福部昭の一番弟子にあたるが、彼と師の音楽の大きな違いは「生命力」ではないかと思う。芥川の音楽は「都会的洗練さ」があると評されており、確かにそのとおりだが、線の細さが特徴的だ。例えば「交響三章」の第2楽章を聴くと、そのメロディーというか素材は伊福部の音楽に通じるものがある。しかし、芥川の音楽はあくまでも繊細で、悪い言葉を使えば「どこか弱々しくいじけている」。もちろんその作風こそが彼の魅力である。一方で、伊福部昭の音楽は、同じく「寂しさ」がつねに根元にあるのだが、それはパワフルである。芥川の音楽を聴くと、彼がこれからというときに早くに亡くなってしまったことが、何となく納得できるような気がするのである。

 伊福部の教え子たちが書いた「9人の門弟が贈る『伊福部昭のモティーフ』によるオマージュ」(1988)という作品がある(CDはFL-TYCY5217/8)。この中で芥川も1曲を書いているのだが、伊福部の書いたモティーフが芥川の手によって、このように「繊細に、スマートだけどちょっと華奢な感じ」になっていることは、芥川という作曲家の特質と、両者の差異を端的に表わしている(芥川が担当した「ゴジラ」のモティーフを素材にしたこの小曲は、実に素晴らしく胸を締め付けるような感動を覚える)。

 「武蔵坊弁慶」はTVドラマのテーマ曲として書かれた作品だが、ここにも芥川特有のどこか憂いのあるカラーが全曲を支配している。

 次に伊福部昭の「オーケストラとマリンバのための『ラウダ・コンチェルタータ』」(1979)を聴く(安倍圭子(ma),山田一雄/新星日本so。初演時のライヴ)。私はこの曲を1983年1月の札響定期で聴き、大きな衝撃と感動を受けた(独奏と指揮はこのCDと同じ)。伊福部は彼の「タプカーラ交響曲」に関し「タプカーラとは立って踊るという意味です。アイヌの人たちは楽しいときも悲しいときも、このように踊るのです」という旨のことを書いているが、私にとっては「ラウダ・コンチェルタータ」は「悲しいときも、嫌なことがあったときも、無心で音楽に没入したときも」聴きたくなる作品である。シューベルトはパガニーニの演奏を聴いた後、街中を夢遊病者のように歩いたというが、あのコンサートの私もそれに近いものがあった。何が、それほどまで?それはまた今度。

 次はブラームスの交響曲第1番(ドホナーニ/クリーヴランドo)。このCDにカップリングで入っている「大学祝典序曲」も聴く(「悲劇的序曲」はパスした)。

 ブラームスの第1番の第1楽章には、ベートーヴェンの第5交響曲の「運命動機」が現れる。だからといって、第4楽章の第1主題がベートーヴェンの第9の「歓喜の歌」と似ているというのはどうか、と私は思う。ほとんどの解説で、この第4楽章第1主題(ホルンのファンファーレ風主題のあと、フルートに引き継がれ、やがて弦楽で現れる主題)はベートーヴェンの「歓喜の歌」と似ている、親近性がある、と書かれているが、果たしてそうだろうか?私にはどうしてもそのようには聴こえないのである。

 そこで「大学祝典序曲」。この曲の開始から2分ほどのところでトランペットが弱音で吹く旋律は、ドイツの学生歌「われらは立派な校舎を建てた」から引用しているという。その引用は、曲の性格上からして、なるほどと思う。しかしさらに、私は第1交響曲第4楽章の第1主題も「われらは立派な校舎を建てた」に由来しているのではないかと思うのだ。

 ぜひ、「大学~」と第1交響曲とを聴き比べてみて欲しい。「歓喜の歌」よりははるかに類似性が認められるはずだ。ところで、先に書いたホルンのファンファーレ風の主題であるが、これについてドホナーニ盤の解説に興味深いことが書かれてある。「1868年9月12日、ブラームスはクララ・シューマンの誕生日プレゼントとして、滞在中のアルプスから木彫りの箱を贈ったのだが、それに添えられたカードに、この旋律の楽譜が書かれていた」という。クララはハイジに「立って!」と言われた少女ではなく、シューマンの未亡人である。まったく、プラトニックなやらしオヤジだな、ブラームスって。

 「われらは立派な校舎を建てた」というドイツの学生歌は、マーラーの第3交響曲の冒頭の旋律、つまり8本のホルンによって吹かれる旋律でも用いられている。ウィーン大学時代のマーラーは「ドイツ人読書連盟」という、ゲルマン民族主義、反ユダヤ主義を掲げた政治的サークルに関係していたらしいが、1878年にこの連盟は国からの圧力によって解散させられてしまう。この解散のときに学生たちが合唱したのが、ドイツ・ナショナリズムと結びついた学生運動のシンボルである「われらは立派な校舎を建てた」だったというのである。マーラーは第3交響曲で、このシンボルを取り上げたのである。すごいなぁ。からくりだなぁ。このあたりは村井翔「マーラー」(音楽之友社)に詳しく書かれているし、ブラームスの第1交響曲がこの学生歌に関連しているという、私が思ったのと同じことも指摘している(わぁ~い。私もたまには気づくことがあるのだ)。

 そんなことを考えながら、ブラームスのあとにグラスの「浜辺のアインシュタイン」をかけた。2曲ほど進んだところでギブアップしてしまった。ちょいと真面目なことを考えているときに聴く曲ではなかった……