土曜日の夜、久しぶりにアンドリュー・ロイド=ウェッバーの「レクイエム」(1984)を聴いた。
“A Requiem from the Composer of Cats,Evita,Starlight Express?”と驚きをもって迎えられたこの作品、つまりは「キャットやエビータ、スターライト・エキスプレスの作曲家が書いたレクイエムだって?」ということである。そして、この作品は発表されるや否や、一気にヒット・チャートに躍り出たそうである(その騒ぎについては、私は当時まったく知らなかった)。
私がこの作品を知ったのは札響の定期演奏会においてであった。この当時札響は秋山和慶を正指揮者としていたのだが、秋山は知られざる名曲を積極的に定期演奏会で紹介していた。このロイド=ウェッバーの「レクイエム」もそうである(このコンセプトで取り上げられた曲で、他に私の印象に残っているのは、ラフマニノフの交響曲第3番、グリエールの交響曲第3番である)。
ロイド=ウェッバーは「レクイエム」の作曲の契機として、
1. 1982年の父の死
2. たまたまニューヨーク・タイムズ紙で読んだ記事
を挙げているが、後者の記事というのは、ポルポト政権下のカンボジアで、手足を失った姉を殺すか、それとも自分が死ぬかという事態に直面した少年が、自分だけが生きる選択をしたという内容のものであるという。この2つの出来事がきっかけとなって、この「レクイエム」は少なくとも3人の人間を弔う主旨になっている。1人の少年と1人の少女と1人の男である(以上、矢野暢「20世紀音楽の構図」(音楽之友社)を参考にした)。
編成にはシンセサイザーも加わるが、曲は極めてシリアス。そして、聴かせ上手といった音楽。途中にでてくる旋律は映画「未知との遭遇」を思い起こさせる。極めて美しい第7楽章の「ピエ・イエス」は単独でもCDに入れられたこともあって(確か「ピエ・イエス」というオムニバス盤だったと思う)、たいへん有名になった。
ただし、全曲盤は初演に先立ってレコーディングされたマゼール盤しかない。CD解説に写真が載っているかわいらしいボーイ・ソプラノ独唱の男の子が、今ではすっかりいい若者というか、準おじさんになっているのかと思うと、複雑な思いである(一応付け加えるが、私には少年趣味はないので念のため。そういう意味で言ってるんじゃないですからね)。道を踏みはずしていなければいいのだが……。
別な演奏によるCDが出ないかと待ち望んでいるのだが、ここまで出ないのは特別な理由があるのだろう。マゼールの妨害工作とか……(たぶん、著作権のからみか?なお、ヴォーカル・スコアは出版されている。このブログに貼ってあるSheet Music Plusでも購入できる。私も購入したが、表紙はマゼール盤のCDと同じデザインである。やはり、闇にうごめく何かがある)。
私はマゼール盤に文句をつけているのではなく、これはすばらしい演奏。大太鼓の音が歪んだり、シンセサイザーの音が聴こえにくい箇所があるけど、これで不自由するという意味ではない。ただ、聴き比べてみたいだけなの……。我慢できない、いけない子ですか、僕?
ロイド=ウェッバーの「レクイエム」は、「現代人のためのレクイエム」と言える、名曲である(と言っても作曲されたのは20世紀だが)。
ところで、私はキャッツなどロイド=ウェッバーが曲を書いたミュージカルを一切知らない。逆に言えば、彼のミュージカルの曲を一切知らない。だから、彼の音楽性とか何とかをどうこう言えはしないのだが、茂木健一郎が書いている文を読むと、ふ~ん、とニヤリとしてしまう。
「ロイド=ウェッバーが叙勲されて『サー』の称号がついたときに、The Independent紙にある投書が載った。それはイギリスで敬愛されているハイドンとかヘンデルといった揺るがない業績のある作曲家と、サー・アンドリュー・ロイド=ウェッバーの名前を並べて、『けっ!わかるだろ』とだけ書いてあった」(茂木健一郎/江村哲二「音楽を『考える』」(ちくまプリマー新書)。
ねっ?何だかニヤリとしてしまいません?商業主義音楽(同書では「拝金主義」とまで書いていたが)に対する痛烈な批判ですね、これ。でも「レクイエム」はほんと、良いですよ。
