今日は大胆にも有名曲であるシューベルトの「グレイト」についてちょっぴり書いてみる。

 その前に、ベートーヴェンの話(んっ?)。
 昨日の朝刊に掲載されていた雑誌「壮快12月号」の広告に、「ほんまかいな」というコピーが。

 《「第九」がボケを防ぐ!「田園」でキレなくなる。
  高血圧からリウマチ、ぜんそく、耳鳴り、メタボまで効く。ベートヴェンは薬だ》

 何だか、ベートーヴェン様に畏敬の念すら感じてしまう(“ベートーベン”ではなくて、きちんと“ベートーヴェン”と記述されているところに「壮快」編集部の真剣さを感じる)。
 そっかぁ。私はこれまでベートーヴェンを耳にしてきたからこそ、リウマチやぜんそくに罹らずに済んでいたのか……。
 耳がタンバリンのように騒がしく勝手に音をたてないのも、ベートーヴェンのおかげだったんだぁ。
 血圧が少し高めではあるけれど、ベートーヴェンのおかげでこの程度の高さで収まっているのか……。医者に「君はメタボではないよ。見たとおり太っていない。けど、こんなに中性脂肪が高いから、血液は大デブの状態だよ」と言われたのも、ベートーヴェンへの尊敬心が足りない証拠だったのだろう。
 そう考えると、水虫に罹ったことがないのはハチャトゥリアンのおかげなのかも知れないし、インキンタムシと無縁なのはモンテヴェルディのご加護の可能性があるし、痔に苦しんだことがないのはイッポリトフ=イワノフと何らかの因果関係があるのかも知れないし、女性に惹かれるのはワーグナーのせいなのだろう(「女性は人生の音楽である」って言ったのよ、彼ったら)。

 《「田園」でキレなくなる》というが、ベートーヴェン自身がキレやすい性格だったと言われていることを思えば、はていかがなものか?
 また《「第九」がボケを防ぐ!》というが、ボケる前に「第九」そのものが何であったか物忘れしないように、私としては注意しなくてはならない。本当にボケを防ぐのか、誰かリンゴに「第九」を聴かせ続ける実験をしてくれないだろうか?いつまでも、新鮮でシャープな味を保つのだろうか?(くだらんこと申してすまん)。それから、やはり大工さんにボケ老人が少ないという統計をとる必要もあるだろう(だからしつこいって)。

 さて、「第九」の話。といっても、今回取り上げるのは冒頭に呈示したようにシューベルトの交響曲第9番ハ長調D.944「グレイト」のことである(「グレイト」という呼称は、同じハ長調の第6交響曲と区別するためにつけられた。また、シューマンはこの作品を「天国的な長さ」と言った)。
 何?「グレイト」は「第9番じゃなくて第8番だろ?」って?そういうあなたはナウい!トレンデー!!

 私がこの曲を知った少し前に、この曲の番号は第7番から第9番に修正された。
 有名な「未完成交響曲」が第8番(ロ短調D.759)であり、それまでは、「未完成」のままの交響曲が残されているのだから、完成されている「グレイト」はその前に書かれていたはずである、というのが第7番と称されていた理由であった(一部勝手に推測)。
 しかし、「未完成交響曲」はシューベルトの死によって絶筆となったのではなく、書いてる途中で忘れられたということが判明し、「グレイト」は「未完成」よりあとの第9番となったのである。
 ちなみに第8番「未完成」の作曲年は1822年(1865年、つまり死後発見)、「グレイト」は1828年(彼の死の年)である。

 ところが、話はこれで終わらない。
 それまで第7番とされていた作品(ホ長調D.729)が、番号を剥奪(?)から除外されたのである。これはドーピングが明らかになったためで(あぁ、しょうもない)はなく、この作品がピアノ譜のスケッチしか残っていない作品だったからである(オーケストレーションしたのは指揮者のワインガルトナー)。
 ということで、現在では旧8番の「未完成交響曲」が第7番、旧9番の「グレイト」が第8番となっている。

 音楽ファンにシューベルトの「グレイト」は第何番?と訊き、「第7番」と答えたなら、その人は50歳以上だと思われる。一方、「第9番」と答えたなら30歳代か40歳代だろう。「第8番」と答えたなら、将来を担う若者である可能性が高い(いずれも世の中の動きに敏感な人の場合を除く)。
 複雑な話をさらに複雑にすると、「グレイト」を第10番とすることもあった。これは未発見の幻の交響曲D.849を第9番として加えた場合のものであるが、現在ではその存在自体が疑問視されている。「グレイト」を第10番と答える人がいれば、その人はほとんど友人を持たないような超マニアックな人物である可能性が否定できないだろう。

 さて、私はこの第8番「グレイト」ではレーグナー指揮ベルリ0a8a4095.jpg ン放送交響楽団の演奏を好んでいる(1978録音。デンオンCOCO85023)。少し残響が多めで、モダン演奏の良さが溢れる伸びやかな、重心の低いサウンドが広がる(何でもピリオド演奏がいいとは私は思わないのだ。揺れる中年心)。デンオン(いまやデノン)がPCMデジタル録音を手がけ始めた初期の録音だろう。

 ところで、この作品の第4楽章にはベートーヴェンの「歓喜の歌」のメロディーに似た旋律が出てくると言われている。
 しかし、私はこの旋律はマーラーの第3交響曲冒頭や、ブラームスの第1交響曲第4楽章、そしてブラームスの大学祝典序曲と同じく、ドイツの学生歌「われらは立派な校舎を建てた」に由来していると思っている。

 さて、「壮快」、買うべきか……