伊福部昭(1914-2006)が1973年に書いた邦楽器のための作品「郢曲『鬢多々良』」(えいきょく「びんたたら」)は、日本の伝統楽器がこれほどまでに躍動感にあふれた響きを織り成すのか、と驚かされる作品である。
用いられる楽器は、篠笛、龍笛、能管、篳篥(ひちりき)、笙、小鼓、太鼓、楽太鼓、筑前琵琶、薩摩琵琶、筝、十七絃である。
作曲者はこの作品について、次のように述べている。
《郢曲とは、平安中期にわが国に興った音楽の一形態であるが、様式としては、宮廷社寺楽と庶民の俗楽との中間に位していた。
したがって、旋法なども、わが国と唐・天竺などの混淆(こんこう)にあったと考えられている。
鬢多々良とは、比牟多々良などとも記されるが、詠唱を伴ったかなりくつろいだ舞い楽で、あまり厳格に定まった振りはなかったらしく、各自が自由に舞い、やがて乱舞に至るのが常であったとされる》
この作品は、実は私にとって最初に出会った伊福部作品である。それは1973年か74年ころ、NHK-TVによってであった。おそらくは、初演か初演直後の再演の映像だったのだろう(この作品は日本音楽集団によって初演された)。
とはいっても、音楽そのものはまったく記憶に残らず(当時はドイツ3大Bあたりにかぶれていたのだから、無理もないか)、1983年1月に氏の「ラウダ・コンチェルタータ」によって「伊福部教(狂?)信者」になったときに、あらためてこの作品の存在を思い出した次第である。
それからというもの、どれほど聴きたいと願ったことか!
1998年にCDが発売されたときには、狂喜し乱舞に至ってしまったほどである。
私を乱舞させたそのCDは、カメラータの32CM290。 「鬢多々良」の演奏は田村拓男指揮の日本音楽集団。この曲のほかに「二十絃筝曲『物云舞』」(ものゆうまい。1979)、ヴァイオリン・ソナタ(1985)、「サハリン島土民の三つの揺籃歌」(1949)が収められている。
このCDはまだ新星堂のネットショップ(右のバナー)には在庫有り。クラシック検索の作曲者名に伊福部昭と入力し検索すると、1ページ目の後半に出てくる。
冒頭に書いたように、「鬢多々良」は日本の楽器の特徴である「控えめな響き」が、実はこんなに活き活きと鳴り響くものなのかというもので、それこそ目の前の空間を音が飛び跳ね回る。
形式的には、伊福部昭がよく使うA―B―A'というもの。
AとA'はゆったりとした序奏(a)で始まりテンポを増しながら次々と楽器が加わっていく(b)。A'もa'とb'からなり、Aには入らなかった小鼓も加わって、いにしえの舞踊の光景の想像をかきたてる。Aの部分の楽想は愉悦の舞い、Bは沈思するような優雅な「歌」である。ドビュッシーの作品名ではないが、A(A')は「世俗的」、Bは「神聖」と言えよう。
この曲が初演されていたとき、日本音楽集団のメンバーには野坂恵子がいたが、伊福部は彼女の才能に触発され、その後「物云舞」などの二十絃筝曲が誕生していくことになる。
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一昨日、札幌交響楽団の東京公演があった。
ドビュッシーの「クラリネットと管弦楽のためのラプソディ」が良かった(独奏はポール・メイエ)。「牧神の午後への前奏曲」もまどろみの雰囲気がよく表現された演奏だったが、多少荒さが目立った。
武満作品は、演奏自体は高水準だったと思うが、個人的に作品自体が楽しめなかった。
それにしても、チラシの束をバサッと落とす人、カサカサと音をたててプログラムをめくる人、ずっと携帯でメールをやり取りしている少女(隣の母親は「目力」で怒ってはいたが)など、観客層はあまり上品とはいえなかったのがいちばん残念である。