「二十絃筝とオーケストラのための『交響的エグログ』」は、東京交響楽団の委嘱作品として伊福部昭(1914-2006)が1982年に書いた作品である。
この曲について、作曲者は次のように書いている。
《『エグログ』とは、対話形式をとった田園詩といった意をもつ語です。
この作品では、二十絃筝と近代管弦楽との対話によって、私達の伝統感性に、より近い音響世界を創ってみたいと考えました。
歴史と機能を全く異にする楽器を組み合わせることには、多くの問題がありますが、インドに於けるシタール、スペインのギター等のコンチェルトを思う時、日本の筝に対して、何か責務のようなものさえ感じたのでした。
曲は一楽章形式で、自由な三部構成をとっています》
初演は野坂恵子の二十絃筝、小林研一郎指揮で1982年3月に行われた。
「郢曲『鬢多々良』」の稿で書いたように、伊福部昭は日本音楽集団に所属していた野坂恵子の才能に触発され、その後、二十絃筝のための作品を生むようになった。この「交響的エグログ」も野坂恵子という筝奏者がいなければ誕生しなかっただろう。
野坂恵子は1965年に日本音楽集団に入り、69年に二十絃筝を開発した。その後世界的に活躍したが、1983年に日本音楽集団の首席奏者をはじめ、大学での講師活動などのすべての役職を辞職し演奏活動を休止してしまった。3年後には再び演奏活動を行うようになり、1991年には二十五絃筝を開発している。
活動再開後の伊福部昭作品のCDとしては「七ツのヴェールの踊り―バレエ・サロメに依る伊福部昭作品集」(二十五絃筝。カメラータCMCD28096。2005年発売)、「琵琶行」(二十五絃筝。カメラータ28CM558。1991年発売)などがある(いずれも新星堂で在庫有り)。
曲はA(a+b)-B-A’(a’+b’)という、「ラウダ・コンヴェルタータ」と同じような三部形式をとっている。
弦楽群によって荘重な主題が提示され、木管群が呼応する。やがて二十絃筝が力強く入る。しばらくの間はオーケストラと筝がしっとりと対話し、そのあとテンポを上げてbの部分に入る。「切ない華麗さ」である。
ホルンによってBの部分に入る。Bは「リトミカ・オスティナータ」同様、中間部でいったんオーケストラは爆発するが、その前後は夕暮れの田園風景
のような雰囲気をもつ。
A’では最初と同じように曲が進み、「上品な激しさ」でもって終わる。
CDは2種類出ている(いずれも二十絃筝は野坂恵子)。
お薦めは、井上道義が指揮したライヴ。「リトミカ・オスティ ナート」のときにも紹介した「協奏三題」というタイトルのCD(フォンテックFOCD9087。掲載写真は旧盤のもの)。1983年2月に行われた演奏会を収録したもので、中間部のピークでのトランペットのリズムが狂ってしまっているのが唯一の難点だが、緊張感あふれる演奏。新星堂に在庫有り。
もう一つは本名徹次指揮日本フィルの演奏で、CDタイトルは「伊福部昭の芸術-6『亜』」、キングKICC439。こちらも右の新星堂のネット通販で購入でき
る。カップリング曲はバレエ「日本の太鼓《ジャコモコ・ジャンコ》」(これがまたシビレル作品である)と「フィリピンに贈る祝典序曲」。録音は2003年である。こちらの演奏は、ライブ録音ではないためひじょうに美しい音が繰り広げられる。力みを抑制した演奏だが、もう少し伊福部らしい土臭いパワー、濃厚さがほしいところでもある。
ところで、この曲に何回も出てくる下降する2つの音は、その数年前に書かれた「ヴァイオリン協奏曲第2番」にも現れる。伊福部昭の中でブームだったのだろうか?
昔、大学生のときに、ある女性の友人にこう言ったある。
私「このエグログって曲は、どういうわけか君のイメージに合っている」
彼女「そんなぁ~。私、こんなに上品で優雅でないわ……」
私「……」
本当は、あっけらかんとした明るさがなくて、どこか田舎臭さが残っていて、田園風景のイメージが付きまとう、というのが私の真意だったのだが……
口に出さなくてよかった。
