レナード・バーンスタイン(1918-1990)の「セレナード」(1954)は、プラトンの「饗宴」に基づいて書かれた作品である。正直言って「饗宴」が何たるかを私は知らない。ごめんなさいね(「ね」がつくと、とたんに開き直りに聞こえるのが不思議)。

 バーンスタインは作曲家である以上に指揮者として高い名声を得ていたが、私は過去、どこかいまひとつ、彼の指揮する演奏に共感できなかった。
 それはおそらく、レコードの録音にあったと思う。
 米コロンビア時代のバーンスタインの録音は、音場がひどかった。録音技術者たちがステレオ遊びをしようとしているみたいだった。楽器の「位置」が安定しない。オーケストラの団員が立ち歩きながら音を出しているような感じのものが少なからずあったし、オーケストラ全体の音が平板でステージの奥行きが少ないものもあった。

 もっとも、こういう話について五味康祐氏なら「すばらしい演奏eb0282c6.jpg に録音のどうこうは関係ない。モノラルの録音だってすばらしいものはすばらしい。録音がどうのこうのと言う“やから”は音楽を解っていない。そういう“やから”を私は信じない。音キチの私が言うのだから間違いない」ってな感じになるんだろうけどね(「ね」がつくと、にわかに憎たらしさが備わるのが不思議)。

 例えば、リンサーのヴィオラ独奏、バーンスタインがニューヨーク・フィルを振ったベルリオーズの「イタリアのハロルド」(米コロムビアMS6358←LPです)では、曲の最後でタンバリンが右から左、左から右へと駆けるのである。こんなことはあり得ない。タンバリン奏者よ、いきなり狂ったか?ってな感じである。
 名演奏と言われているマーラーの第1交響曲にしても(1966年録音。あのLPのジャケット・デザイン、好きだったなぁ)、つぎはぎをしたような部分がいくつか解る。私にしてみれば、たとえどんな名演でも、やはりそれを阻害するような録音は演奏の質の足を引っ張ると思うんだけどさっ(「さっ」がつくと、一転して反抗的になるのが不思議)。

 そういう意味では、コロムビア時代のバーンスタインは決して録音には恵まれていなかったと思うのだ。

 

 1990年に札幌で始まったパシフィック・ミュージック・フェスティバル。
 私はこのときにバーンスタインが指揮する演奏を聴くことができた。

 自分でも信じられないことに、彼が指揮台に立っただけで圧倒なパワーを感じずにはいられなかった。畏敬の念にかられた。「呑みこまれている」自分がいた。
 それまでさほど好きではなかった指揮者なのに、そのオーラたるや凄かった。

 若い頃から華々しい経歴をもち、ショー的な指揮で有名だったバーンスタインだったが、私の目の前のステージに立っているのは、とっても小柄な気難しそうな老人だった。私が知っているバーンスタインのイメージとはまったく異なっていた。それでも、ものすごい存在感であった。

 プログラムの最後のベートーヴェンの第7交響曲は、とてもゆっくりとしたものだった。
 しかし、心に染み入る演奏であった。バーンスタインが優れた指揮者であると言われている「評判」が初めて理解できた。

 同じ日、プログラムの2曲目は五嶋みどりを独奏に迎えての、彼のセレナード。指揮は大植英次。作曲者の自作自演を聞けなかったのは残念だったが、客席からステージを見つめていたバーンスタインの姿が印象的であった(この日の当初発表のプログラムはブルックナーの9番であったが当日変更となった。ただ、自分の記憶の中では「セレナード」もバ-ンスタイン自身が振っていたように思えてならない。彼がステージを見つめ70ab7f7c.jpg ていたのは、もう一つの演奏会だったような気がしてならないのだ)。

 その年の秋にバーンスタインは亡くなった。
 札幌に来たときも相当病気が進んでいたのだろう。

 亡くなる前、最後に振ったのもベートーヴェンの7番だったという(死の前に7番を録音もしている。下に紹介してある)。

 でも、私にはベートーヴェンよりも、このセレナードを聴いたときに、あの夜のステージ風景が甦るのである。

 セレナードは独奏ヴァイオリンと弦楽合奏、ハープとパーカf65fd4ff.jpg ッションという編成の5楽章からなる作品。シリアスな表情とバーンスタインらしいしゃれた表情をあわせ持つ作品だ。

 ここに紹介する「セレナード」のCDはグラモフォンによる録音で、もちろんかつての米コロンビアのような不自然な音場ではない。余計なことに気を取られない、安心して聴ける録音である。
 一つは「ファンシー・フリー」とカップリングになっている盤。もう一つはバーンスタインの3曲の交響曲とカップリングになっている盤があるが、セレナード自体の演奏は同じものである(クレーメルの独奏、バーンスタイン指揮イスラエル・フィル。1978年録音)。
 共に輸入盤で、前者はグラモフォンの423 583-2。後者は同じく445 245-2であるが、現在は廃盤になっているようである(前者については国内盤でグラモフォンPOCG30022もあるが、在庫切れの様子)。
 ただし、国内盤でグラモフォンのUCCG3803~04には収録されており、同じ演奏だと思われる。

 このディスクは新星堂に在庫があり、2枚組みで1,500円である。

 

 それにしても、「巨匠」っていうのはああいうものなんだな。
 すっごい存在感でした、本当に。