12月14日、都響第654回定期演奏会。出し物はマーラーの交響曲第7番。
この演奏を聴き、私はあらためてこの作品がマーラーの他の交響曲に決して劣るのものではないことを確認できた。
指揮はエリアフ・インバル。
インバルといえば、今から30年ほど前(1979年9月)にNHK-FMの「クラシック・アワー」で放送されたフランクフルト放送響とのマーラーの6番の演奏がすごく印象に残っている。
そのライブ録音を私はテープに録って何度も聴いたが、すごい「マーラー指揮者」が現れたと思ったものだ(その後インバルは次々とマーラーの交響曲をレコーディングした)。当時はまだ若手だったインバルの演奏をその30年後に生で聴けるとは、ずっと札幌に住んでいる私には想像もできないことだったが、そういう点では東京への単身赴任というのも悪くないものだ(お金があればもっと充実するのに……)。
30年前の話をついでにもう一つに言うと、同じくFMクラシック・アワーで1980年9月に放送されたギーレン指揮オーストリア放送響のマーラー/第7も良い演奏だった。
マーラーの交響曲第7番は、第2楽章と第4楽章に“Nachtmusik”と名づけられていることから交響曲全体に「夜の歌」というタイトルが与えられている が(なぜ「夜の曲(夜曲)」ではなく「夜の歌」なのだろう?)、この作品でいちばん「夜」というものを描写していると私が思うのは、第1楽章の255小節目からの、トランペットが軍隊ラッパ調のファンファーレを吹くところからである(楽譜上。音楽之友社のスコアから掲載)。後述するインバル/フランクフルト放送響のCDでいえば9'35"からの部分である。
ファンファーレのあとヴァイオリンのソロが入る部分は夜の帳が下りていくようだ。
再びファンファーレが奏されたあとの、ハープが印象的である全奏部分(317小節目、インバル盤で12'34"から)はまさに「美しき夜の情景」ではないだろうか?動物たちの鳴き声を思わせる木管群とホルンを中心としたパッセージ(これは第3交響曲の第3楽章に通じるものがある)は、清澄な夜の空気のなかで月明かりに照らされる地上の万物を描いているように思えてならない。私は全曲中この部分が最も美しいと感じる(だから?)。
この日の演奏会で新たに気づいたことの一つに、第2楽 章のアンサンブルが実に難しそうだ、ということがある。もちろん全曲を通してまったく気が抜けない難曲なのだろうけど、下の譜の部分(これは第2楽章の終わり近くだが)のホルンとクラリネットの絡みなんかは相当難しいんじゃないかと思った。CDではすんなり聴いてしまうところだが、生で聴いて初めてこの曲の「難しそうさ」「複雑さ」「精緻さ」が想像以上だったということが解った。
それにしても都響は力演であった。マーラー特有の大音響の部分でもけっしてバカ騒ぎにならず、また室内楽的な部分はとてもデリケートに鳴り響いた。さすがに終楽章になると、疲れからかあちこちから変な音が出たりもしたが、それは全曲を通した演奏を傷つけるものではなかった。
よく「映画音楽のようだ」と非難され(でもそう言うなら、映画音楽というよりはむしろ遊園地音楽だ)、この交響曲全体が失敗作であるという評価の的になっているその終楽章にしても、決して全曲の中で浮いたり、あるいはそれまでの4つの楽章をぶち壊すものではないということが、この演奏でははっきり示された。
もともと私はこの曲が好きでだったが、生で聴く機会はこ れまでなかった。
それがインバルという名指揮者のタクトによるすばらしいオーケストラのすばらしい演奏を聴き終えたあと、いまこの会場にいる2,000人の中の一人として自分も時間を共有できたことに大きな幸せを感じた。
もし、この演奏を録音してあらためて聴いたとしたらけっこう粗い演奏だったのかも知れないが、活き活きとした、そして見通しの良い演奏だった。
私が好きな演奏のCDはショルティ指揮シカゴ響のもの(Decca425 041-2、1971年録音、輸入盤、写真上。国内盤もでているはず)で、今でもいちばんに位置づけているが、さすがに録音が古くなってきたし、マーラーの音楽に対するアプローチの仕方も「今風」でなくなっているのかもしれない。
そこでもう一枚と言えば、別にインバルを生で聴いたからというわけではなく、インバル指揮フランクフルト放送響のものをお薦めしたい。1986年の録音。Denon-COCO70402(写真下)。右のタワーレコードのオンラインショップでで¥945。ショルティがマーラーの「柄」を強調しているとしたら、インバルの解釈は「織り」を大切にしているように思う。もちろん、衣類に例えたならの話です。書いている私もよく解りませんが……
インバル/都響は明後日19日にマーラーの6番を演奏する。
すっごく行きたいけど、行けないのが残念だ……(券も持ってないけど)