レナード・バーンスタイン(1918-1990)の交響曲第2番「不安の時代」(1949初演)を初めて知ったのは、高校の卒業を、というか受験を目の前に控えたときであった。ちょうど今ごろの時期だったかも知れない。
たまたまNHK-TVでやっていたものを観たのだが、全曲ではなく第5楽章「仮面舞踏会」という、たぶん全曲中最も聴き応えのある楽章だけが放送された。この曲では独奏ピアノが必要とされるが、このときソリストを務めていたルーカス・フォスの弾くピアノがひどく格好よかった。たぶんテクニック的にはラフマニノフなんかのピアノ曲の方が難易度は高いのかも知れないが、「仮面舞踏会」のジャズ的な要素が私にとって新鮮なせいもあって、すごいもんだなぁと感心したものだ。
たまたまこの曲を聴いてしまったために、その後私は「不安の時代」を迎えることになる。つまり受験に失敗し、浪人生活に入ったのだ。それを音楽のせいにするなんて、合理化にもならない合理化だけど……。というのも、ここで聴いた曲が「不安の時代」ではなく、例えば「大いなる喜びへの賛歌」(*1)だったとしても、結果は間違いなく同じだったのだ。
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私の知る限り、当時の札幌には名曲喫茶(クラシック喫茶)が3軒あった。
1つは北海道大学の近くにあった“クレモナ”。この店には高校の頃からけっこう通った。ちょっと回り道にはなったが、学校からの帰宅途中にあったのだ。店内は明るく広々としていてオタクの集会場という感じがせず、「健康的」でとても落ち着けた。私はこの店が3店のなかでいちばん好きであった。
もう1つは、狸小路のビル(といっても二階建ての木造の古い建物で、悪意ある者が火を放ったら、瞬時に燃え尽きるようなものだった。たぶん札幌市消防局からは危険建造物に指定されていたに違いない)の二階にあった“シャンボール”。ここはあまり名曲喫茶らしくなかった。
再生装置がどんなものだったかはともかくとして、スピーカーは壁の上部に埋め込まれていて、とても豊かな響きを求めようとしていないようだったし、名曲喫茶としては情けないくらいLPが少なかった。こちらが何かをリクエストしても、たいていの場合「お応えできません」だった。流れている音量も、普通の喫茶店のBGMよりもやや大きめといった程度であった。
この店で唯一良かったのはフード・メニューが複数あることだった。名曲喫茶というのはフード・メニューがほとんどない。食べるときの音が他のお客の鑑賞の妨げになるからである。しかし“シャンボール”には、カレーライスやピザ・トーストがあった。というのも、この店の一階は同じ経営のふつうの喫茶店であり、そこから食事を運んでこれたのだ。味の方は天下一品級にまずかったが……。
この店ではなぜかよくドヴォルザークの交響曲第7番がかかっていた。また、どのレコードも傷が結構あって、ザッ、ザッという雑音が当たり前のようにしばしば破壊的に入っていたが、店の人はそれが宿命であるかのように無関心であった。ドヴォルザークの第7番という、名曲ではあるものの愛好者が多いとはいえない作品がよくかかっていたのは、そのLPが店でいちばん状態がよかったためなのかも知れない。
3つ目の店は今でもやっている“ウィーン”。3軒のなかでは最も名曲喫茶らしい雰囲気である。何ヶ月前かに行ってみたが、椅子も照明器具も昔のままだった。椅子は起毛が人の背中の形で磨り減っており、また照明器具は前時代的で(あのシャンデリア風のものにはいったい何kgの埃が付着しているのだろう)、おまけにところどころ球が切れている。狸小路のはずれのビル(もどき)の地下にあるが、店内が暗く、どことなく空気が冷え冷えとしているのは、地下にあるというだけではないようだ。
音は悪くないし、ここに来る客のほとんどが音楽を鑑賞する目的のために来ているようだが、それにしても致命的に前時代的だ。ここでコーヒーをすすっていると、秘密結社の隠れ家で悪いことをしているような気がしてくるし、見たこともないような暗黒愛好昆虫類なんかが潜んでいるようでちょっと恐い。クラシックにこだわっているせいではないのだろうが、トイレ(というか便所)は未だに汲み取り式である。きっとふつうの喫茶店だと思って入って来た客がいたら、すぐにでも黒魔術の儀式が始まり、迷い込んだ自分がいけにえにされるのではないかという錯覚に襲われるだろう。
昔ここで、この店唯一のフード・メニューであったトーストを食べたことがあるが、余計な音を立ててはならないと思ったとたんに異常に緊張してしまい、不必要なくらい床にパンくずを散らかしてしまった経験がある(少なからず好意を寄せていた女の子と一緒だったのに……。しくしく)。あの時、店内に放し飼いの鶏がいたなら、相当喜んでもらえたと思う。
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高校3年の私が受験(共通一次試験である)の前日、会場である北海道大学に下見に行ったのだが、帰りに“クレモナ”に立ち寄った。一緒に下見に行った友人2人も一緒だった。
こんな日は、緊張感を持って早く家に帰って明日に備えるというのが一般的感覚なのだろうが、私はここに立ち寄っただけでなく、マーラーの交響曲第3番をリクエストするということまでした。マスターが「音楽史上最も長い交響曲だよ。時間、大丈夫?」と聞いてきたが、私は「大丈夫です」と答えた。友人2人(彼らはコーヒーを飲みたかっただけで、そもそも音楽に興味はなかった)の顔は大丈夫そうではなかったが、私の持論は「前日に慌てて何かしたところで無意味」だというものであった。
リクエスト曲が終わった100分後。店を出たあとの友人たちの地下鉄駅に向かう足取りは明らかに速かった。やっと解放された。遅くなった。明日は受験だというのにママに叱られちゃう、って感じだった。悪いことをした。彼らは国公立の受験に失敗したが、私大に入った。国立一本の受験だった私は、いさぎよく浪人生活に入った。
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私は予備校に通わずに自宅で浪人することにした。そんなことでは絶対効果が上がらないと言われたが、私は街中の予備校に通うようになったら、そのうち大半を喫茶店で過ごすようになる自信があったのだ。
そんなあるとき、高3のクラスメイトだった1人の女の子から電話が来た。彼女も私と同じ国立大だけを受験し、浪人生活に入っていたのだった。ただ、私とは違い、常識的な浪人生らしく予備校に通っていた。
「ちょっとぉ~。元気ぃ?勉強はかどってる?家にこもってばっかりじゃ息がつまるでしょっ?たまに出てきて会わない?」っていうものだった。いまこうやって書いてみて気づいたが、彼女の話し方は「ノルウェイの森」の「みどり」っぽかった。
在校中に特に彼女と親しかったわけではなかったが(私には親しい女性はいなかった。音楽が恋人だったのだ←よく言うよ!)、気にかけてくれているようだし、欲しいレコードもあったので街に出かけた。彼女は顔立ちもスタイルもよかったが性格が男っぽく、クラスの男子からは「猛女」と陰で言われていた。たぶん男性ホルモンに関して言えば、私よりも分泌量が豊富だったのではないかと思う。
彼女に会う前に、当時の札幌ではクラシックレコードの品揃えが いちばんだった「玉光堂・すすきの店」に寄った。あのとき耳にした「不安の時代」をもう一度聴きたくなっていたのだ。幸いなことにLPは店頭に並んでいた。私はそのLPを買った。
そのあと猛女様に会った。他に喫茶店も知らなかったので“シャンボール”に行った。
名曲喫茶というものは、スピーカーに向かう形で2人並びで椅子が配置されている。4人が座れるボックス席もあるが、それは少ない。また、2人が向かい合って座るような席はまずない。
この日の“シャンボール”は4人がけ席が埋まっていて、2人で並んで座る席しかなかった。
店に入るなり彼女は言った。
「ちょっとぉ~、何、この店。あなたと並んで座れっていうの?嫌よ!」
「ごめん。広い席が空いてないみたいなんだ」
「もしかして、私と並んで座るために最初っからこんな店を選んだんじゃないでしょうね」
「違う。それは違うよ」
「なるべく離れて座ってよ」
「わかってるよ」
明らかに私を疑った目つきだったが、それでも仕方なく2人並びの席に座った。でも、そんな意図はなかった。だいたい私は、彼女に女性を感じたことなどなかったのだ。2人並ぶなんて勘弁だというのは、こちらだって同じだ。
「ねぇ、家で勉強しててはかどっている?化学はどう?」
「はかどってない。この世に存在する元素の数が10種類ぐらいだったらどんなに楽だろうと思ってる」
「生物は」
「カモノハシが有袋類だってこと、昨日初めて知った」
その後も彼女の興味本位な質問は続いたが、話が進むにつれ明らかに私よりも優位な立場になっていったことに満足していた。私は数学も、英語も、漢文も、世界史もはかどっていないと答えたからだ。それは事実でもあった。隠していたが、古文も現国も日本史もはかどっていなかった。
「じゃあ、どういう風に毎日やってるの?」
「朝から昼まで勉強して、昼ご飯を食べて、午後はNHK第一ラジオの“午後のロータリー”を聞いて……、あっ、この番組の聴取者からの健康相談コーナーは笑えるよ。杉並のカタオカって人が常連で、いろんな健康上の相談を毎回電話して来るんだ」
「ながら勉強してんの?」
「で、3時になったらクラシック音楽を大音量で聴く。夕飯を食べて、夜は勉強する。でも、Hなシーンがありそうな映画があるときはそれを観る。そんな感じかな」
「バッカみたい。そんなんで大丈夫なの?」
「大丈夫でないような気がする」
「ねぇ、私に何か聞きたいことない?予備校の様子とか?」
「昼は弁当を持って行っているの?」
「そんなことどうでもいいでしょ、まったく……。ところで、何のレコードを買ってきたの?」
「あっ、これバーンスタインの、いや、バーンスタインという人の交響曲第2番。「不安の時代」ってタイトルがついている。ジャズ的な要素もあって僕には新鮮な感じに思った。前にテレビでやっていたのを観て、LPも欲しくなったんだ」
「ふ~ん。別にそれ以上説明しなくてもいいわ。でも、そんなんじゃ来年も落ちるわよ。志望校は変えないんでしょ?だったら、もっと真剣に勉強しなきゃ」
「やっぱりそうかな?」
「絶対そうよ」
さすが猛女だけある。人を呼び出しておいて、自分の勉強の進捗状況が私より遅れていないか確認し、さらには自分の日頃の不安やストレスを私に浴びせる(聞いてもらうのではなく)ために呼んだようなものだ。だいたいにして母親でもないのに「勉強しろ」なんていう権限がどこにあるというのか!それにレコードのことに触れてきたのなら、せめて「どんな曲なの?」ぐらい聞いてくるのが礼儀ってもんだろう。
でも、彼女の言うとおり私は翌年も落ちて2浪に突入した。彼女は志望校に合格した(当時は大学ごとの合格者はすべて新聞に載っていた)。彼女の言うように、私は禁欲的に音楽を聴くのをやめ勉強に打ち込むべきだったのだ、なんて、全然思わなかったし、いまも思っていない。
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このとき買ったLPはバーンスタイン指揮イスラエル・フィル、 フォスのピアノによる演奏であった。この演奏はCD化されており、前に本稿でバーンスタインの「セレナード」を取り上げたときに紹介したものがそうである(ドイツ・グラモフォン445-245-2。2枚組。写真)。これには交響曲第1~3番と「セレナード」が収録されている。
これと同じ演奏のものが国内盤でも出ており、右のタワーレコードのバナーから購入できる。ただし、交響曲3曲の演奏は同一だが(1977年録音)、この国内盤では「セレナード」のかわりに「ファンシー・フリー」が収録されている。CDの番号はグラモフォンのUCCG4103で価格は今なら1,919円となっている(2枚組)。
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でも、彼女はさばさばしていてなかなか面白い女の子だった。さっきはあのように書いたが、決して自分だけが受かればいいという考えの子ではなかった。もし優越感に浸りたいなら、私が落ちたときにも「激励の電話」をよこしたはずだろうから。
今ごろ彼女はどこかで薬剤師をしているはずだ(薬学部に行ったから、常識的にはそうだろう)。きっと白衣が似合う恐い感じがする薬剤師でいるに違いない。
*)「大いなる喜びへの賛歌」はつい最近までつけられていたマーラーの第4交響曲のタイトルである。
いや、行ってあげてください……