もうすぐ2008年である。
早いなぁ。2000年になったとき、今年からが21世紀だ、 と勘違いしていた人が小バカにされていたのが、つい最近のことだったように思われる(勘違いしていたのは私ではない)。2000年問題とかで大騒ぎもしたなぁ。結局マスコミが大げさに煽りたてた感じで終わったけど。
ところで、2008年に生誕100年を迎える作曲家にメシアンがいる。没後100年を迎えるのはサラサーテやリムスキー=コルサコフである。もっといろいろいるんだろうけど、深追いはしないことにする。
記念の年とはいっても、2006年に生誕250年を迎えたモーツァルトのときには、少し世間も盛り上がったが(それも音楽作品そのものとはちょっと違った次元で)、今年(2007年)のエルガーの生誕150年に関しては、ちーっとも盛り上がらなかった。エルガーといえば、むしろその数年前にアニメ・ソングやらCM音楽、着メロなど、あちこちで統一規格条例でも施行されたのかと思うくらい「威風堂々第1番」が使われていた。あれってどういうことから起きる現象なのだろう?不思議である。余談だが、この記念すべき年に札幌交響楽団がエルガーの未完の交響曲第3番をレコーディングした。ただし、他のオケもレコーディングしたそうで、そちらの方が先に発売する権利があるらしい。札響のCDはそのあとになるという(指揮は尾高忠明)。
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生誕100年を迎えるオリヴィエ・メシアン(1908-1992)の代表作の一つに「トゥランガリーラ交響曲」(1946-48年作曲)がある。この曲はボストン交響楽団からの委嘱によるもので、「トゥランガリーラ」とはインド語で「愛の歌」の意味である。
この作品はピアノとオンド・マルトノと大編成のオーケストラによる10の楽章からなる作品であるが、2008年中には在京のいくつかのオーケストラも演奏会で取り上げる予定になっている。
メシアンのオーケストラ作品は不思議な音空間を放つ。色彩的といえばそれまでなのだが、ほかのどの作曲家にもあてはまらない色彩感である。オーケストレーションの名手と言われたラヴェルやリムスキー=コルサコフとも違う。鋭くないとか爆発しないとかいうのではないが、ふんわりとした色を放つ。
矢野暢氏はメシアンの特徴についてこう述べている(「20世紀の音楽―意味空間の政治学」。音楽之友社)。
《メシアンを特徴づけているのは、一種独特なフェティシズムである。たとえば、時空のわくを超えて、ありとあらゆるリズムの類型を求めたいという〈リズム・フェティズム〉は、メシアンの音楽の根幹をなしている。〉 〈もうひとつ、鳥の鳴き声にたいするフェティズム趣味がある。かれは、鳥の鳴き声に、神の摂理を読み取っているのである。〉
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メシアン自身は、「トゥランガリーラ交響曲」について、以下のように語っている(POCG7111のCD解説から転用。このCDには作曲者自身による詳細な作品解説がついている)。
《……「トゥランガリーラ交響曲」は愛の歌である。「トゥランガリーラ交響曲」は愛の賛歌である。17世紀紳士の一般市民的平穏無事な喜びではなく、不幸の真最中にしかそれを垣間見ない者によって理解されるような喜びである。言い換えれば超人間的な、溢れるばかりの、盲目的な、そして際限のない喜びである。愛はその同じ様相を呈して、現在ここにある。それは宿命的な、抗し難い、全てを超越し、それ以外の全てを削除する愛、「トリスタンとイゾルデ」の媚薬によって象徴されるような愛である。……》
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それにしても、一種独特の音楽である。オンド・マルトノという特殊な楽器が放つ音も実に印象的だ。この音響空間、色彩感は実際に聴いてみないとわからない。
私は第5楽章「星々の血の喜び」が特に好きで、聴くたびに気持ちの高ぶりを抑えることができなくなる(別に犯罪に走ったりするという意味ではありません)。
推薦するCDはダントツでチョン・ミュンフン指揮パリ・バスティーユ管弦楽団、イヴォンヌ・ロリオ(ピアノ)、ジャンヌ・ロリオ(オンド・マルトノ)の演奏(1990年録音)。CD番号はグラモフォンのPOCG7111。このCDは廃盤になっているようだが、新星堂ではまだ在庫が残っている様子(右のバナーから入り、クラシック検索で作曲者名にメシアンと入力すればヒットする)。
宿命的な愛かぁ……