ショスタコーヴィチのピアノ五重奏曲ト短調Op.57(1940)。
 最近、ショスタコが続いてすいません。耳にタコ、いや眼球にタコ、でしょうか?

 FM放送でエア・チェックした曲を鑑賞していた頃は、テープの余白に適当な曲を録音して「無音」時間をつぶすことが多かった。
 たとえば、C-90のカセットテープ(つまり片面は45分である)に42分の曲を録音したとしたら、残り3分ほどに収まるような曲はあまりないので、2fc55a57.jpg 適当な何かの曲の断片を録音するのである。その「穴埋め曲」は、既知の曲のときもあったし、たまたまFMで流れていた未知の曲の場合もあった。

 ショスタコーヴィチのピアノ五重奏曲は、そのようにして知った「未知の曲」である。

 何の作品のあとだったかは忘れたが、テープの最後の数分にこの曲の冒頭部分が録音されていた。「未知の曲」だから作品名は解らない。
 しかし、何度も耳にすることになったから、晴れて「ショスタコーヴィチのピアノ五重奏曲」なる作品を正式に(?)耳にしたときには、ひどく親しんできた曲に感じたものだ。

 この曲の冒頭は、まるで何かを問いかけてきているかのようだ。それもけっこう内容が良くない質問。そして、清澄ながら思慮深い音楽が続く。
 第2楽章も声を潜めた、悩み事を考え込んでいるような音楽。
 第3楽章では快活さを見せるが、どこか乗り切れない。
 終楽章も穏やかなやさしさに満たされているが、前半楽章を否定するまでの勢いはないという感じ。
 作品全体としては、古典の様式に帰ろう、という感じのものである。
 この曲もショスタコーヴィチが書いた作品中、傑作に数えられるもの。
 漫才を見てゲラゲラと笑っている場合じゃないぞ、と言われているかのようである。難解な例えですまないが……

 私はリヒテルによるピアノとボロディン弦楽四重奏団による1983年のライヴ録音盤を愛聴している(そういえば、愛鳥週間っていつだっけ?)。EMIのCDC 7 47507 2。

 現在は廃盤のよう。でも、きっと遠くない将来には再発売になると思いますです。