モーツァルトのレクイエム ニ短調K.626。この作品は、ホルン協奏曲第1番ニ長調と共にモーツァルトの未完の作品であり、補筆完成したのは両曲とも弟子のジュスマイヤーである。
 ホルン協奏曲第1番(K.412+K.514)については、第1楽章が1782年、第2楽章は1787年の作とされていたが、その後の研究で、第2楽章は未完に終わり、モーツァルトの死の翌年の1792年にジュスマイヤーが補筆完成したということが解っている。

 さて、1791年(つまり実際に没した年)に、モーツァルトが自分の死が近いことを予感していたことは事実のようである。
 この年の夏のある日、そんなモーツァルトのもとにグレーの服を着た男が訪問してきた。男は名前を告げずにレクイエムの作曲を依頼、予約金として50ドゥガーデンを置いていった。召使いがすぐに後を追って名前を尋ねようとしたがすでに姿はなく、モーツァルトは「あの男はあの世からの使者で、自分は自分を弔うためのレクイエムを書くのだ」と思いこんだという。

 ところでレクイエムというのは御存知の通り「死者のためのミサ曲」である。これを「鎮魂歌」と訳すこともあるが、皆川達夫氏は、ヨーロッパ(キリスト教)における死の概念というのは、日本の恨みつらみを持って死んでいった死者の魂という概念とは違うので、魂を鎮めるという言葉は適当ではない、と書いている。まさにそのとおりだと思う。「鎮魂歌」というのはレクイエムの性格を正しく訳しているとは思えない。

 話を戻すが(戻さなくていいと言ってるのは誰だ?)、モーツァルトの前に突然現れたグレーの服を着た「不吉な人物」が誰であったかは、今では解っている。
 この人物はフランツ・フォン・ヴァルゼック=シュトゥパハ伯爵の使いであった(どうでもいいが、言いにくい名前だ)。
 この伯爵はタチの悪いことに、名のある作曲家に密かに作品を依頼しては、完成した作品を自分で写譜し、あたかもそれが自分の作品であるかのように演奏させて楽しんでいたという。そんな性悪伯爵だから、レクイエムも匿名で依頼したのだった。
 伯爵はこの年に妻を亡くした。その追悼ミサのためにレクイエムを注文し、自分の作品として演奏させるつもりだったようである。これじゃあ妻も浮かばれまい……

 モーツァルトはレクイエムを完成させることなく亡くなった。
 妻のコンスタンツェはモーツァルトの構想を理解していたジュスマイヤーに完成を託した、と言われていたが、どうやらそれはウソらしい(以下の話は、石井宏著「帝王から音楽マフィアまで」(学研M文庫)に詳しく書かれている)。
 というのも、最初に完成させるように依頼されたのはヨーゼフ・アイブラーという人物であったからだ。しかも、なぜかアイブラーは途中で筆を投げ出し、筆跡からさらに複数の人物が手がけたようだが、結局完成されなかった。なんとか報酬を手に入れたいコンスタンツェが最後に依頼したのが、モーツァルトの弟子とされていたフランツ・クサヴァー・ジュスマイヤーだったのである。
 なぜ、コンスタンツェは初めからジュスマイヤーに依頼しなかったのか?あるいは、なぜ最初からジュスマイヤーは師の作品の補筆を買って出なかったのか?そこには、微妙な心理が働いていたようだ。

 死の前年の1790年、モーツァルトは9月22日にフランクフルトに向けて旅に出た。経済的に苦しい生活を解消するため、一発当てて稼ごうというわけである。しかし結果は悲惨。そしてウィーンに戻ったのは11月10日であった。その間にコンスタンツェは妊娠した。まぁ、おかしいじゃない?日にちが合わないわ!

 コンスタンツェが出産したのは7月26日。
 モーツァルトはその子にフランツ・クサヴァー・モーツァルトと名づけた。モーツァルトはフランツ・クサヴァー・ジュスマイヤーを父親と認めたわけである。
 モーツァルトの死後、コンスタンツェが負い目を感じたのか、あるいはジュスマイヤーがモーツァルトに敵対的な感情を持っていたのか、それは解らないが、2人が微妙な感情にかられたのは間違いないだろう。だからこそ、ジュスマイヤ3dcc73c5.jpg ーがすぐに師の作品に手を付けることがなかったのだと思う。
 モーツァルトの実の子供は音楽家にならなかったが、フランツ・クサヴァー・モーツァルトはヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト2世を名乗って音楽家として活動した(1844没)。

 CDはいろいろな名演があるし、ジュスマイヤー版以外による演奏も出ているが、ここではベームが1971年に録音した演奏をご紹介しておく(ジュスマイヤー版)。
 ウィーン・フィル、ウィーン国立歌劇場合唱団連盟、マティス(S)、ハマリ(A)、オフマン(T)、リーダーブッシュ(Bs)、リーゼンベック(org)という布陣。グラモフォンUCCG3353。タワーレコードで1,800円。

 私はモーツァルトの楽曲は断然ピリオド演奏が良く感じるのに、レクイエムに関してはモダン演奏が好きである。そんな私って、変ですか?