ケルビーニ(1760-1842)のミサ・ソレムニス ニ短調。ときにはシビアな祈りの歌が、ときには幸福感に溢れたメロディーが随所に出てくる大曲。

 ところが困ったことに、手元にある三省堂の「クラシック音楽作品名辞典」では、ケルビーニのミサ・ソレムニスとしてはハ長調とト長調、ヘ長調のものしか載っていない。となると、この辞典にある中では「ミサ ニ短調」(1811/1821~22改訂)というのが臭い。断定はできないけど……

 私はこの曲を1980年に知った。NHK-FMの「海外の音楽」という番組で流れたのだ。
 けっこういい曲だと思うのにずっとCDを発見できず、今から10年前にようやくCDを発見(秋葉原の石丸で)、再び耳にすることができた。

 イタリアの作曲家ケルビーニは1788年からパリに定住し、フランス語によるグランド・オペラの作曲家として名声を博した。当時はベートーヴェンをはじめ多くの人々が、ケルビーニのことを「単なる巨匠ではなく、不滅の存在だ」とみなした(当時の人たちは「不滅」の意味をよく理解していなかったらしいベートーヴェンには「不滅の恋人」なる女性がいたな……)。
 のちにパリ音楽院の院長になったが、そのころに入学したベルリオーズはケルビーニのことを完全な敵とみなしていた(ベルリオーズの入学に反対もした)。
 ベルリオーズはケルビーニの思い出を書き残しているが、ハロルド・ショーンバーグ著の「大作曲家の生涯」(共同通信社)には以下のように書かれている。

 「ケルビーニはやかまし屋で、入り口を男女別に分けるといった、こまごました問題まで一々自分で指図した。ある日、ベルリオーズが入り口を間違えたことを守衛に知らされたケルビーニは、図書館に駆け込むと『いつにも増して意地の悪い目つきで、髪をふり乱し、蒼白な表情で』不運な生徒をみらみつけ、ベルリオーズを取りおさえようと、テーブルをめぐり鬼ごっこまで演じた。二人の間に結局、取っ組み合いはなかったが、『ケルビーニが折檻したら、私はサソリを放って報復しただろう』とベルリオーズは書いている」 。
 にしても、パリ音楽院の入り口って銭湯みたいだったのね……

 このミサ・ソレムニスは、最初に書いたように精神的897143b2.jpgになんら病んだところのない音楽である。しかし、これに象徴されるような保守的なところが、彼を忘れられた存在にしつつある最大の要因だと思う(ショーンバーグによれば、「教科書どおりに教え、作曲した音楽家がいたとすれば、それはケルビーニである」)。
 まあ、こんな時代だから、たまには健康的な音楽を聴くの もいいんじゃないかと思う。そういう点でお薦めの一曲である。

 私が所有しているCD(写真)はジェンキンス指揮クラリオン・コンサーツなるオケの演奏。指揮者は曽我ひとみさんの夫とは別人だと思う。ヴァンガード・クラシックスのSVC44。これはまだ売られているかどうか不明。
 現在入手可能なのは、ムーティ指揮バイエルン放送響、同合唱団によるもの(なんてメジャーなメンバーだろう!)。EMIのTOCE55337。タワーレコードで2,800円(国内盤)。私は未聴だが、「荘厳ミサ曲ニ短調」ということなので、私が今回紹介している作品と同一作品であることは間違いないだろう。



 三浦和義って、またまた世間をお騒がせである。
 この間、万引きで捕まったってやってたような気がするが、再びロス疑惑か……
 どうでもいいけど、あんまり騒がないほうがいい。スター気分になるから。