ハチャトゥリアン(1903-1978)のピアノ協奏曲変二長調(1936)。

 ハチャトゥリアンが残した音楽の少なからずのものは、とても親しみやすいメロディーを備え、生命力にあふれている。
 そして適度なエキサイティング感がある。適度な憂鬱さもある。適度な官能美もある。
 しかしバランスを崩してそのどれかに溺れてしまうことはあまりない。

 ハチャトゥリアンは同じ時代のソヴィエトの作曲家、ショスタコーヴィチ(1906-1975)やプロコフィエフ(1891-1953)とは異なったベクトルで活躍したと言える。
 彼はアルメニア人の子として生まれたが、そのアルメニアをはじめ、コーカサス各地の民俗音楽を素材にした作品を書いた。それはソヴィエトにおける非ロシア的な民族主義音楽をリードするものであったという。「非ロシア的」ねぇ。ショスタコーヴィチやプロコフィエフの“モダニズム”とは一線を画した立場にあったのである。
 それはまた、ハチャトゥリアンがショスタコーヴィチやプロコフィエフほどの評価を与えられず、「有名な『剣の舞』の作曲者」ぐらいで話を片付けられてしまう要因にもなっている。

 そんな「民俗オーラ満開」の彼であってさえも、共産党からの批判対象になったことがある。
 1948年2月に開かれたソヴィエト共産党中央委員会の会議では、ショスタコーヴィチ、プロコフィエフ、ムラデリ、ハチャトゥリアン、ミアスコフスキー、シェバリンらが名指しで、形式主義と「ソヴィエト人民や、その芸術的好尚に無縁な反民主主義的傾向」に陥り、「ヨーロッパやアメリカのブルジョア、モダニズム音楽を強く想起させる」音楽を書いている、と非難された。
 このときハチャトゥリアンは次のように謝罪した。
 「いったいどうして、私は形式主義の陥穽(かんせい)にはまったのだろうか。……私と同じように、今日の人民に理解されない音楽でも、将来の世代は理解するだろうと期待した私の同僚に警告したい。これは致命的な誤りである。わが国では数億の民衆、ソヴィエト全人民が、いまや音楽の審判者である。わが人民が理解できる音楽を書き、創作芸術によって数億人に喜びを与えるほど、崇高な仕事があるだろうか」(H.ショーンバーグ「大作曲家の生涯」。共同通信社)

 やれやれである。
 ちなみにこのとき、ショスタコーヴィチは「決議に盛られた批判の一切に対し……私は深く感謝している。……私は英雄的なソヴィエト人民の影像を音楽で描くため、さらに決意を固めて努力するつもりだ」(同)と述べ、またムラデリは「自作のオペラのなかに、私がどうして1曲も民謡を入れなかったのか、自分でもわからない。……私は創作上の誤りの深刻さを十分認識し、これらの誤りを今後の作品のイデオロギー的誠実さで矯正するという、厳然たる責務を負っている」(同)と謝罪している。

 やれやれ。どうして1曲も民謡を入れなかったのかだって?……入れたくなかったんでしょ、ムーちゃん?

 さて、ハチャトゥリアンのピアノ協奏曲だが、彼のヴァイ50dce9d1.jpg オリン協奏曲とは違って、この曲はすぐにとっつきやすいという類の曲ではない。全体的に物悲しい重さに支配されているからである。ヴァイオリン協奏曲はここまでの重さはない(ヴァイオリン協奏曲についてはあらためて取り上げたい)。しかし民俗的な情緒が横たわっているのはハチャトゥリアンならではのものだし、民俗的ながらメカニック的なエキサイティングも彼ならではのものだ。
 この曲についてショスタコーヴィチは「極めて深い思想を感じることができるし、交響的規模の点でも(ハチャトゥリアンの卒業作品である)第1交響曲をしのいでいる。この協奏曲でハチャトゥリアンは、技巧的な豊かさと奥深い内容を結びつけることに成功した」と讃え、実際、このあとハチャトゥリアンの名声は次第に国外にも広がっていったのだった。

 大太鼓の一打で開始されることがまずは衝撃的であるが、打楽器では第2楽章にフレクサトーンという珍しい楽器が使われる。お化けが出てくるときに効果音で使われるような、金属のヒュロロロロ~という音がする体鳴楽器で、ショスタコーヴィチも「ニュー・バビロン」で用いている。

 私がこの曲を最初に聴いたのは、札響の定期演奏会においてであったが、そのときのソリストはまだ元気な頃の舘野泉さんだった。あの人って、見るからに人が良さそうな感じだ。それはともかく、その夜アンコールで彼が弾いたシベリウスの小品がまた絶品だったなぁ。

 お薦めするCDは、というか私がふだん聴くCDは、お富さんだかアタミアンだかが弾いているもの(写真を見る限りでは、あまり知り合いにはしたくないタイプの男だ。舘野泉とは正反対っぽい。思い込みだけど)。指揮はジェラルド・シュヴァルツ、オケはシアトルso。たまたま買ったCDだが、よくわからないが引き込まれるのである。DELOSのDE3155(輸入盤。たぶん廃盤)。

 この曲を初めて聴いてみようという方は、廉価なナクソス盤(ヤブロンスカヤのpf、ヤブロンスキー指揮モスクワso。規格番号は8.550799)が手ごろかも知れない。