村上春樹の「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーラbe603832.jpg ンド」の下巻には、「ハードボイルド・ワンダーランド」での主人公である「私」が、次のように思う場面がある(この小説は「ハードボイルド・ワンダーランド」と「世界の終わり」の2つの世界が描かれており、前者の主人公は「私」で、後者の主人公は「僕」である)。

 「雨はまだ降りつづいていたが、服を買うのにも飽きたのでレインコートを探すのはやめ、ビヤホールに入って生ビールを飲み、生ガキを食べた。ビヤホールではどういうわけかブルックナーのシンフォニーがかかっていた。何番のシンフォニーなのかはわからなかったが、ブルックナーのシンフォニーの番号なんてまず誰にもわからない。とにかくビヤホールでブルックナーがかかっているなんて初めてだ」(新潮文庫・下巻237p)

 う~ん、そう言われればそうだけど、でも、そうかなあ。
 つまり、「ブルックナーのシンフォニーの番号なんてまず誰にもわからない」という部分についてである。
 確かにブルックナーの交響曲はどれも「雰囲気」が似ているが、各曲でけっこう異なるのだ。そういう点で言えば、私なんかはかえって、モーツァルトのピアノ協奏曲の方が、ふと聴いたときに「あれ、これって何番のテーマだったっけ」と思うことがあった(今も完全克服したとは言いがたい)。

 「ヴィヴァルディは600の協奏曲を書いたのではなく、1つの協奏曲を600回書きかえたのだ」と言ったのはダラピッコラであるが、村上春樹の文章はこれに匹敵する見識だと言える。実際、ブルックナーに対し同じ交響曲を9回書いたと感じる傾向の人もいるという。

 ただし、私は小説の主人公の「私」の考えが的を得ているとは思わない。案外とブルックナーの曲は、マーラーほどではないにせよ各曲が個性的である。
 にしても、ビアホールにブルックナーがかかっているというのは場違いな気がする。どうも彼の曲は飲食には向いていない。テーマも響きも、そして進行も。
 そういえば、当時のウィーンの人々はブルックナーに「アダージョ・コンポニスト」というあだ名をつけたという。楽曲の進行にずいぶんと時間がかかるために、ウィーンの人たちには彼の音楽のどれもがアダージョのように聞こえたらしい。
 それをBGMにしてビールを飲んでいたら、ペースが狂ってきっとビールがぬるくなってしまうだろう。ドイツの人はぬるいビールも飲むらしいけど。
 ただ、こじつけるならブルックナーは大のビール党だったという。そういう意味ではビアホールと無関係ではない作曲家だ。そんなことはビアホールに来ている人には関係のない話だけど。

 小説は次のように続く。 

 「やがてブルックナーの長いシンフォニーが終り、ラヴェルの「ボレロ」に変った。奇妙なとりあわせだ」(同)。

 まったくである。このビアホールの店長はテンポの速い楽曲は嫌いなようだ。

 ブルックナーとマーラーの音楽はほぼ同じ頃に人気が高まった。
 しかしマーラーとブルックナーは、共通点よりは異なる点の方が多い。
 私は圧倒的にマーラー派であるが、心が広い私はブルックナーをも受容している。しかし、マーラー派にはブルックナーの音楽に拒否反応を示す人もいるようだし、マーラーからブルックナーに「改宗」した人も私は知っている。その点私は無宗教なので、マーラーが好きだがブルックナーもしばしば聴く。

 そういう意味ではブルックナーの音楽というのは難しいのかも知れない。ブルックナーを崇拝する人にとっては高尚で精神を高揚させる要素が、逆の立場の人たちにとっては長ったらしく退屈にしか聞こえないらしいから。
 あとホントかウソか知らないけど、女性のブルックナー・ファンというのは極めて希少な存在だそうだ。高野史緒さんくらいか?

 そこで、という訳ではないが、今日はブルックナーの交響曲第8番ハ短調WAB.108を御紹介。
 といっても、ふだん耳にするハース版やノヴァーク版では8db91779.jpg なく、第1稿と言われているもの。
 この曲は1884年から87年にかけて作曲された。その1887年のものが第1稿であり、ハース版やノヴァーク版は1889年から90年にかけて改訂された第2稿による。第2稿の初演は1892年に行なわれたが、第1稿の全曲初演は1973年になってやっと行なわれた(第1楽章だけは1954年に初演)。
 インバルが振った(たぶんオケはフランクフルト放送響だと思う)この第1稿のライヴ録音をNHK-FMで聴いたとき、私はおったまげてしまった。例えば(というか、これがいちばん衝撃的だけど)、第1楽章は力強いファンファーレで閉じられるのである!
 紹介するCDもインバル/フランクフルト放送響のもの。1982年録音。
 テルデックのWPCS21016。タワーレコードのネットショップに在庫あり。1,050円。

 ほら、ブルックナーの交響曲は9つだけにとどまらず、さらにいろいろな版があるのだ。
 豊富な品揃え!

 どれも一緒だなんて言っちゃイヤ!