村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」。第3部は「鳥刺し男」編である。といっても、鳥の刺し身(鳥わさ)が好きな男の話では、もちろんないことよ。
第3部で、“僕”はナツメグという女性(彼女は“僕”に仕事の客を紹介してくれている)に、出て行った妻クミコのことを説明する。そして、クミコを救い出したいと話すと、ナツメグはこう言う。
《「ねえ、それってなんだかモーツァルトの『魔笛』みたいな話じゃない。魔法の笛と、魔法の鐘で、遠くのお城に囚われたお姫様を救いだす。私、あのオペラが大好きよ。何度も何度も見た。台詞もそっくり覚えている。『国じゅうに知らぬものなき鳥刺し男、パパゲーノとは俺のことだ』。見たことある?」
僕はまた首を振った。見たことはない。
「オペラの中では王子さまと鳥刺し男は、雲にのった三人の童子に導かれてその城まで行くのよ。でもそれは実は昼の国と夜の国との戦いなの。夜の国が、昼の国からお姫様を奪い返そうとしているの。どちらがほんとうに正しい側なのか、主人公たちは途中でわからなくなってしまう。誰が囚われていて、誰が囚われていないのか。もちろん最後に王子さまはお姫さまを手にいれ、パパゲーノはパパゲーナを手にいれ、悪人たちは地獄に落ちるわけだけれど……」、ナツメグはそう言ってから、指先でグラスの縁を軽くなぞった。「でもあなたには今のところ鳥刺し男もいないし、魔法の笛も鐘もない」
「僕には井戸がある」と僕は言った》(第3部126~127p)
ところでどうでもいい話かも知れないが、この中では「お姫さま」と「お姫様」という表記が混在している。これは何か意図があるのだろうか?それとも単純な校正漏れなのだろうか?
♪
「魔笛」K.620は、ヴィーラントの童話集「ジンニスタン」 (ジンギスカンみたいだ)に収められている「ルル、あるいは魔笛」を参考に、シカネーダーが台本を書いたもので、作曲、初演とも1791年、つまりモーツァルトの死の年である。
物語の筋は、「ある国の王子タミーノは、大蛇に追われて気を失っていたところを、夜の女王の3人の侍女に助けられる。タミーノは侍女たちから、夜の女王の娘パミーナが悪人であるザラストロに捕らえられているので救い出すように言われて、魔法の笛と鈴(村上春樹の小説では「鐘」となっている)を渡される。パミーノはエジプトのザラストロの宮殿に乗り込む。女王に仕える鳥刺しのパパゲーノも魔法の鈴をもらってタミーノに従う。しかし、実はザラストロは有徳の高僧で、パミーナを救出するために現れたタミーノに試練を課す。タミーノは3人の童子に励まされながら、暗闇と沈黙の試練を経てパミーナと会う。2人は魔法の笛の力で水と火の試練をくぐり抜けてザラストロの神殿に迎え入れられ、夜の女王とその一味は闇に沈む」というものである。
ザラストロとはゾロアスター教の教祖と言われている人物、ゾロアスターのことである(R.シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」のツァラトゥストラもゾロアスターのことである)。
モーツァルトはフリーメイスンに入会している。1784年12月のことである。そして、この歌劇「魔笛」は「フリーメイスン劇」であると言われている。
実際モーツァルトは、歌劇「皇帝ティートの慈悲」上演のためにプラハを訪れた際に、ロッジ(もともとはメイスンの作業所の意味)「3本の戴冠した柱に至る真理と統一」を訪問し、近々フリーメイスンのためにすばらしい形で敬意を表すつもりだ、と語ったという。その敬意のしるしが「魔笛」である。なお、台本を書いたシカネーダーも、1786年にフリーメイソンに加入している。
そしてこの歌劇は、当時は誰にでもフリーメイスンの劇だと理解されたのであった。また、音楽の上でもフリーメイスンをシンボライズするものが随所に見られるという(このあたりの話は茅田俊一著「フリーメイスンとモーツァルト」(講談社現代新書)に詳しく書かれている。なお、掲載した本の写真は昔のもので、現在の講談社現代新書の装丁は、やたらぎんぎらした色使いとなっている)。
また、中野雄の「モーツァルト 天才の秘密」(文春文庫)で は以下のように書かれている。
「《魔笛》の筋書きは往々にして『支離滅裂!』と酷評されているが、台本に書かれた真の主題を、王子タミーノが、神々によって妻と定められたパミーナの夫となるに相応しい人間へと脱皮・成長していく、人生修行の過程にありと考えれば、それなりに筋の通った物語となる。
王子タミーノは3人の侍女の誘惑をしりぞけ、パミーナとともに火と水の試練を魔法の笛の力を借りて切り抜ける。苦難の克服と神に近き者を目指す旅路――フリーメーソンの秘儀が、童話劇の形を借りて呈示される。モーツァルトの完全無欠の音楽が描き出す情景は、意外に奥が深いのである。
この音楽に、彼はさまざまな象徴的な技法を用いた。第1は変ホ長調というフラット3つの調性、3人の侍女と3人の童子等々。フリーメーソンが“神秘な数”とする3の数字を最初から最後まで徹底的に使って、モーツァルトは生涯最後の名作オペラをわれわれのために遺してくれたのである」(242p)
さて「魔笛」の演奏だが、私が観賞しているのはレヴァイン 指揮メトロポリタン歌劇場oによる1991年のライヴ盤のDVD。私は「期間限定特別価格盤」で2,980円で買ったのだが、「期間限定」ということにウソ偽りはなく、今は売られていない(写真。グラモフォンのUCBG9008)。
同じ音源の通常価格盤はUCBG3019として、タワーレコードのネットショップに在庫がある。なお、パミーナはバトル(闘いという意味ではなく、もちろん名前。キャスリーン・バトルである)、夜の女王はセッラ、タミーノはアライサ、パパゲーノはヘムといったキャストである。この通常価格盤の価格は5,775円。特別価格を知ってしまった身のあなたとしては、購買意欲は失せているかもね、たぶん。
「ねじまき鳥クロニクル」第3部のタイトルとなっている「鳥刺し男」。この「鳥刺し男」は誰なのだろうか?
謎のホテルで“僕”を誘導してくれた「顔のない男」のことなのだろうか?
そして、クミコを助け出そうとする“僕”はタミーノということになるのだろうか?
“僕”は確かに「暗闇と沈黙の試練」(それに水の試練)を乗り越えて、クミコ(らしい女性)と会うことができたが……
新館入口(2014.6.22~)
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© 2007 「読後充実度 84ppm のお話」
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「魔笛」の火の試練と水の試練は、どのようなものか書かれておらず、音楽もあっさりとすぐに終わってしまいます。いろいろなサイトを見ると象徴的なこと(男と女)であると書かれています。お答えになっていなくてすいません。