札幌の隣町の一つである喜茂別町。
この札幌と喜茂別町の境界にあるのが“中山峠”である。札幌の南側の定山渓温泉を抜け、サミットが開かれる洞爺湖方面に向かう国道の途中である。
私が中学2年生の夏休みに、家族で洞爺湖温泉に泊まったことがある。
我が家が家族でどこかに宿泊しに行くなんて、異例中の異例であった。父親が、あるいは母親がどうしてそんなことを思いついたのか不思議である。
我が家にはマイカーなどなかったから、行きは列車、帰りはバスを利用した。
帰りに乗った、洞爺湖から札幌へ向かうバスが“中山峠”についたのは昼ごろだった。ここでトイレ休憩のため、10分ほど停車するのである。
私が自動販売機でコーラを買おうとしていたら、背中の後ろの方、つまり国道で、すさまじい急ブレーキの音がした。
振り返ると、女の子が宙高く放物線を描いていた。
道路を横切ろうと急に飛び出して、乗用車にはねられたのだった。
こういうとき、辺りは異常に静かになる。
自家用車から降り、はねた少女を抱きかかえるドライバーの男性。その後部座席から赤ちゃんを抱いて降りてきた、奥さんらしき女性。その少女の親がどこにいるかわからないのだ。
どれくらい時間が経ったか解らない。でも、2~3分だったのだろう。道の向こう側の方から「○○ちゃ~ん?」と呼びながら、道の方にやってくる、母親らしき女性の姿があった。
私たちが乗っていたバスは、しかしながらそんなことにはあまり関係なく、少し出発が遅れただけで、札幌へと発車した。
家に着き、聴いたのがフランクのコラール第3番イ短調(1890)であった。
あの事故にあった少女に祈りを捧げるためではない。たまたま偶然にテープをかけたのだったが、何か恐ろしい感覚に襲われた。
フランク(1822-1890)はベルギーの作曲家だが、1835年に家族とともにパリに移ったため、フランス音楽の作曲家として位置づけられている。1858年からは終生、パリのサント・クロティルド教会のオルガニストを務めた。
「コラール」は3曲から成るオルガン曲集で、フランク最後の作品。
おそらく彼は、自身の死を予感して、神を讃えるコラールを書いたと思われる。
しかし、プロテスタント信仰のために書かれたバッハのコラールとは異なり、カトリックのフランクのコラールは自由な形式になっている。
第3番は幻想曲として書かれており、トッカータ風の作品。アダージョの中間部が実に美しく、「信仰的」である。
この「3つのコラール」は確かにフランクの傑作である が、必ずしも聴かれる頻度は高くない。なのに、なぜクラシックを聴き始めて1年ほどの私がこの曲を知ったのか?
それは、1973年に完成したNHKホールのおかげである。
このホールには国内で初めて本格的なオルガンが備えられた。
そのために、イージ・ラインベルガーというオルガニストが来て、コラール第3番を含む、いろいろなオルガン作品を演奏、それがFMで紹介されたのだ。
お薦めするCDはマリー・クレール・アランが1995年に録音したもの。
エラートの0630 12706-2(輸入盤)。現在は廃盤かも知れない。
あの日、コラール第3番を聴き終え、ラジオに切り替えると、はねられた少女は亡くなったとニュースが報じていた。