中川右介著「巨匠(マエストロ)たちのラストコンサート」 (文春新書)。
この本はそのタイトルのとおり、クラシック音楽の巨匠の最後の演奏にまつわる話が書かれていて、その数は9人。
その巨匠たちは、トスカニーニ、バーンスタイン、グールド、フルトヴェングラー、リパッティ、カラヤン、カラス、クライバー、ロストロポーヴィチである。
感動的な話が多いのはもちろんなのだが、グールドのように「何の事件もなかった」ラストコンサートというのもある。へんに美談にしていない語り口がとてもいい。
その中のバーンスタインについて、私が著者に共感したことを書きたいと思う。
レナード・バーンスタインが提唱したパシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)が札幌で始まったのは、1990年6月26日である。
PMFは札幌と千歳で7月14日まで開催されたが、最終日の7月14日は札幌交響楽団による演奏で幕を閉じた。一方、バーンスタインは最終日を待たずに東京へ移動しており、10日を最初に、いくつかの演奏会を振ることになっていた。
14日のPMFの最終日、バーンスタインは13:30からサントリーホールでPMFオーケストラを指揮、翌15日はロンドン 交響楽団を振る予定だった。
しかし、それに先立つ7月10日の東京初公演で、すでにトラブルが起きていた。
そして、この音楽祭の提唱者であり看板であるバーンスタインは、結果的にはこの第1回目のPMFにしか姿を現さなかった。なぜなら、彼はこの年の10月14日に亡くなったのだから……
7月10日の演奏会のトラブルは、プログラムの変更と、一部曲目の代振りによる(大植英次に振らせた)。
実は同じようなことが札幌公演(6月29日と7月8日。ロンドン交響楽団公演)ですでに起こっていたのである。ただし札幌で聴衆と主催者の間でトラブルがあったという話は耳にしなかった。
東京では、不満が爆発した一部の聴衆が事務局を突き上げるという事件が起きた。このあたりの話は、石井宏著の「帝王から音楽マフィアまで」(学研M文庫)にスキャンダラスに記述されている。
そして、そのトラブルを知ったバーンスタインは「君子危うきに近寄らずとばかり、残りの公演を(マイケル・ティルソン・)トーマスにまかせて、さっさと帰国してしまった」(同書113p)のである。
先に書いたように、札幌では聴衆の“暴動”は起こらなかった(ようである)。
東京に比べると入場チケットが安かったせいだろうか?あるいは、札幌の聴衆は「仕方ない。こんなこともあるさ」と割り切るのが早い気質だったのだろうか?
私はブルックナーの交響曲第9番がベートーヴェンの第7番他に変更になったときけっこうショックだったが、「まあ、大物指揮者っていうのはこんなものなのかな」と納得するように努めたものだ。
ただ、「巨匠たちのラストコンサート」のバーンスタインの章では、その後明らかになった事実からこの事件を追っている。
○ バーンスタインは来日する前の4月に肺に悪性の腫瘍が見つかり、治療の副作用で肺に水がたまるなど、いつ何があってもおかしくない状態だった。しかし、それは極秘にされ、医師同行で来日が強行された。
○ 東京での7月10日のコンサートのとき、彼の体調は最悪だった。そこで、自作の「ウエスト・サイド・ストーリー」の「シンフォニック・ダンス」を、若い日本人指揮者大植英次に代振りさせた。これに不満を抱いた聴衆と主催者側がロビーで言い合いとなり、大騒ぎとなった。
○ 12日のコンサートはなんとかこなしたが、14日の朝、バーンスタインはホテルで床に倒れたまま動けなくなった。残りの京都、大阪公演を残したまま彼は帰国したが、そんな事情を知らない日本の聴衆やマスコミはスキャンダラスにキャンセル事件を報じた。
そう。私たちは彼が死の直前にあったことなど知らなかったのだ。
怒った聴衆の気持ちも解る。真実を公表できなかった主催者の苦しみもわかる(もし主催者が病気のことを知らされていたならば、だが)。大植英次も苦しかったろう。
今になってわかることは、バーンスタインは決して「君子危うきに……」でさっさと帰国したわけではないということだ。
帰国したあと、バーンスタインが最後に振ったコンサートは8月19日、タングルウッドにおいてである。オーケストラはボストン交響楽団。
プログラムの最初はブリテン、最後はベートーヴェンの第7番。2曲目がなんだったのかは知らないが、このときも2曲目は代振りをさせたという。
私はブルックナーの9番が変更になって聴けなかったことを嘆いたが、結果的には、バーンスタインのまさに最後のコンサートと同じ曲を札幌で聴くことができたわけだ。そして、ロビーで騒いだ東京の聴衆もそれは同じだったことになる。
このときコンサートで聴いたベートーヴェンの7番はテンポが遅かった。そして、タングルウッドでのラストコンサートのライヴCD(ブリテンとベートーヴェンが収められている)を聴いても同じように遅い(何回か聴くとあまり違和感はなくなるが)。
晩年の彼の演奏テンポについて、石井宏は前著で以下のように書いている。
《しかし、ひと頃からみると、彼の晩年の音楽は、熱狂性がなくなり、代りにいちじるしくテンポを落とし、深みと幅を増している。昂奮だけが身上だった音楽家の内部で、何かが崩壊し、新しい何かがとって代っていたような気がする。 ―(中略)― かつての“レニー”のデビューが、活きのいいアメリカの象徴であったとすれば、晩年の彼におけるエネルギーの崩壊と、それに伴う新しい暗い位相の出現は、アメリカの悲しみの象徴なのだろうか》(126-7p)
私はこれに頷いてしまうのだが、それに加えて、最後の第7番のときは(そして来日公演時も)、現実問題としてまさに「息絶え絶え」で、ハツラツとはできなかったのだろう。
最初に「共感した」と書いたが、中川右介は先の新書の中で、1985年のバーンスタイン/イスラエル・フィル来日公演に行ったときの感想を書いている。
《客席にいる聴衆までも、指揮者から出る「気」を感じ、興奮させ、慟哭させ、心地よい脱力感に浸らせることができる。催眠術とも魔術ともいっていい、普通ではない何かが、その夜のコンサートにはあった》(55p)
でも、著者はその後、バーンスタインのCDを聴いても同じような感動を覚えなかったという。
ここが私の感覚と一緒なのである。
以前にも書いたことがあるが、私はバーンスタインというスター指揮者の演奏に特段感動したり名演だと感じることがなかった。
それはCBSの録音の不自然な音場のせいでもあると思っていた(そして、それも事実だ)。
でも、札幌で目の前に立つバーンスタインを見たとき、それだけで胸が締めつけられるようなオーラを感じ、音が出る前から感動してしまった。
私は中川の、以下の言葉がすべてを言い尽くしていると思える。
《興味深いのは、この(タングルウッドの)「最後のコンサート」で、途中からバーンスタインが立っているだけなのに音楽は途切れなかったというエピソードだ。これこそが、バーンスタインの指揮の本質を語ってはいないだろうか。彼は存在するだけでよかったのだ。いるだけで「気」(オーラといってもいい)を発し、オーケストラをコントロールし、客席を圧倒できたのだ。たとえ、死の病にあっても》(64p)
ラストコンサートのCDはグラモフォンから出ている(UCCG4083。1,200円)。
これを聴いて私が感動するのは、おそらく、あのとき北海道厚生年金会館のなかに満ち溢れていた、バーンスタインが放つ不思議で強力なオーラが甦ってくるからなのだろう。
新館入口(2014.6.22~)
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