いやぁ、偶然ってあるものだ。
 奇跡ってあるものだ。……奇跡はちょっとオーバーか……

 5月31日付けの私の記事で“カッコウ”にまつわる音楽のことを書いたが、そのなかで中学生のときにFM放送で耳にした、カッコウの鳴き声が用いられているオルガン曲のことに触れた。「確か作曲者はスカルラッティ」とも書いた。さらには、ご丁寧に、「スカルラッティでも、ドメニコかアレッサンドロかは解らない」とまで書いた。

 ごめん……

 結論から言えば、スカルラッティというのは間違いであった。フレスコバルディであった。

 どうして解ったか、皆さんは興味津々ではないだろうか?
 あっ、そっ!ないわけね。
 かまうもんか!

 おとといのことなのだが、久しぶりにタワーレコードの札幌Pivot店に立ち寄ってみた。そのあと近くの焼肉店で食事をするという重要な儀式があったのだが、20分ほど時間があったので寄ってみたのだ。

 特に目的はなかった。もう生きる目的さえないのだ。CDショップに何の目的を見出せばいいというのだ。
 うつろな目でフラフラとさまよっていたら、ワゴンに山積みになっている、いや、ワゴンにパラパラと置かれているCDのシリーズを見かけた。ドイツ・ハルモニア・ムンディの廉価盤だった。
 ふつうなら興味を示さないのだが、そこに“フレスコバルディ”の文字を見かけた。
 私はフレスコバルディのCDは1枚も持っていない。曲も知らない。でも、このときはなぜか、私はそのCDに手を伸ばした。
 万引きというのはこういう風に本人も予想できない状況下で起こるのだろうか……?

 いや、違う違う!
 万引きなんてしていない。

 私は、理由もなく、なんとなくそのCDが気になったのだ。
 CDタイトルは「フレスコバルディ チェンバロ名曲集 ―カプリッチョ第1巻」とある。
 カプッチョではない。

 裏を見る。
 するとなんということだろう!収録曲名の中に「カッコーのテーマによるカプリッチョ」というのがあるではないか?

 その瞬間、私の頭の中では小脳、大脳、間脳、視床下部、頭蓋骨、毛細血管が会談を開始し、結論を出した。
 これはあの曲だ!と。

 「これ」だの「あの」だの、よく解らないかも知れないが、とにかく中学のときに耳にした曲はここに収められている曲に違いないと思ったのだ。
 つまり、私は完全にスカルラッティの曲だと思い込んでいて、当たり前のことながら彼の作品名を調べても解らなかったのだが、要するに作曲者を勘違いしていたのだ。要するにも何も、単純な話とも言える。しかし、頭のどこかにフレスコバルディという名前も残っていたのだろう。だから、CDに手を出してしまったのだ。もちろん手を出したからには責任を取らなくてはならない。
 はい、買いました。

 それにしても、そんなに真剣に探していたわけではないものの、焼肉を食べに行く前の暇つぶしの時間に、こんな形で中学生以来耳にできなかった曲に再会できるとは、世の中不思議である。

 家に帰ってから、焼肉のゲップをこらえながら音楽作品名辞典を開く。
 
 なんとまあ、ちゃんと載っているではないか!「かっこうによるカプリッチョ」と。

 フレスコバルディ(1583-1643)はバロック音楽初期のイタリアの重要なオルガン音楽作曲家である。それは知っていたんだけどねぇ。
 「かっこうによるカプリッチョ」(以下、作品名はCDではなく、辞典の表記に準じる)は1624年に出版された「カプリッチョ第1集 ―さまざまな主題とアリアによるパルティトゥラ譜」のなかの1曲である。
 安田直義氏によるCDの解説には(廉価盤のわりにしっかりした解説だ)、「かっこうによるカプリッチョ」について、以下のように書かれている。

 《カッコーの鳴き声を模したカッコーのテーマが、幾度となく現れる叙情的な作品である。カッコーの鳴き声が、この曲全体にわたって80回余りもあちこちから聞こえて来て、耳を楽しませてくれる。親しみやすく、しかも極めて単純な主題をこれほどまでに構成する、フレスコバルディの技巧の確かさに驚かずにはいられない》

 「あちこちから」って言っても、オルガンからなんだけどね。あと、最後句読点の位置も変と言えば変。クレーマーみたいで自分が嫌になるけど。

 このCDには全部で11曲が収められているが、チェンバロによる演奏は7曲、オルガンは4曲。演奏はグスタフ・レオンハルト。1979年の録音。調べたら、ちゃんとタワーレコードのネット通販にもありました。BMG(レーベルはドイツ・ハルモニア・ムンディ)のBVCD38181。けど、期間限定商品で、在庫はわずか。価格は1,000円。

 急に態度を変えるわけじゃないけど、買ってみたらいいと思いますよ皆さん。