伊福部昭の交響頌偈「釈迦」(1989)。この曲名「こうきょうじゅげ『しゃか』」と読む。

 その名のとおり、釈迦について音楽化した作品であり、釈迦が出家し、あらゆる誘惑や煩悩との戦いを経て、ついに悟りを開くまでを3つの楽章にわたって描く。
 釈迦への讃歌が混声合唱によって歌われるが、現存する特定の仏教宗派を表すような要素はない。むしろ釈迦の生き方を通じて、「人間精神のありかた」を訴えているのである。作曲者は「讃歌というと、キリスト教のメサイアになってしまう。そうではなくアジア的・仏教的なものを意図した」と語っている。
 合唱が入るのは第2楽章と第3楽章であるが、そのテキストはパーリ語による原始仏教の聖典からとられているという。

 第1楽章は「カピラバスツの悉達多(シッタルダ)」。
 釈迦が父の家で幸せな生活をしていたにも関わらず、それが真の幸福ではないことに気づき、生老病死の四苦を救うために出家するまでが描かれる。
 さすがシッタルダ。私なんかは、幸せな生活にぬくぬく、どっぷりと浸りつくすだろうに。まあ、幸いなことに、そんな生活をしたことはないけど。
 ゆっくりとした祈りを思わせる音楽である。

 第2楽章「ブダガヤの降魔」。
 出家したシッタルダが煩悩と戦う様子が描かれる。
 ブダガヤとは釈迦成道の聖地で、この地での6年の苦行のあと、菩提樹の下で仏陀となった(木の下の土中で長期滞在したあと成虫になるセミを思わせるな)。
 中間部では緊迫した戦いが描かれる。また、“霊肉煩悶の暗示”という、女声合唱による美しい歌は、官能的ですらある。あぁ、煩悩!こんなんじゃあ私には悟りなど開けない……

 第3楽章「頌偈」
 「頌偈」とは「仏徳をたたえた歌」。
 ひじょうに感動的な盛り上がりをみせる音楽である。
 後半、大太鼓のオスティナートで音楽がドライヴされ、その上で「讃歌」が高らかに歌われる部分は感動的。

 ところで、伊福部昭と宗教音楽というのは、どうも結びつかない感じがする。
 しかしながら、彼は1953年にバレエ「人間釈迦」を書いている(2管編成)。
 このバレエは舞踊家の石井漠(187-1962)の振付によるもので、120分に及ぶ大作であった。公演は大好評で、縮小版も含め500回以上も上演されたという。初演のときには石井漠の息子もピアノ奏者として出演、その彼がのちに伊福部に師事することになる石井眞木であった。
 「日本の太鼓《ジャコモコ・ジャンコ》」や「サロメ」と同様に、「人間釈迦」も改訂によって交響頌偈「釈迦」として甦ったことはファンとしてこの上ない喜びである。

 ところで、バレエ「人間釈迦」と交響頌偈「釈迦」の間には、「釈迦」という曲がある。これは1961年の同名の映画のための音楽である。このサントラ盤を聴くと、その音楽の要素は交響頌偈「釈迦」に(幸いなことに)網羅されている。

 伊福部昭は数多くの映画音楽を残したが、その中で「釈迦」以外に宗教に関係するもの(ただし映画タイトルで判断しただけだが)を挙げておくと、「親鸞」「続親鸞」(1960)ぐらいである。

 なお、伊福部昭の場合(いや、多くの作曲家の場合)、書かれた作品群の間で、同じ楽想が微妙に形を変えて共用されるが、この「釈迦」では、特に「シンフォニア・タプカーラ」と共通の旋律が多く顔を出している。

 CDは現在すべて廃盤となっているようだ。
 私が持っているのは小松一彦指揮東京交響楽団、合唱65d9dfe7.jpg は東京オラトリオ研究会(こんな研究会が存在するんだぁ)と大正大学音楽部混声合唱団による、初演時(1989年4月8日)のライヴ録音である(FUTURELAND LD32-5105)。
 この初演は、浄土宗東京教区青年会の企画協力のもと、「釈尊降誕会(はなまつり)コンサート」で行なわれたのだが、個人的にはこういうのって、好きでない。
 まあ、作品を委嘱したのが、ユーメックスと東宝音楽出版、そして浄土宗東京教区青年会っていうんだから、しかたないんだけど。
 その後、札幌交響楽団でこの作品の生演奏を聴く機会も持てたことは幸運だった(主催は浄土宗札幌……冗談です)。

 この初演と同じ年、伊福部の教え子であり、師・伊福部昭の作品を積極的に紹介し伊福部ルネッサンスに多大な貢献をした芥川也寸志が亡くなっている。