先月末に横浜に2泊3日の日程で出張に行ったとき、最終日に夕方まですっぽりと空き時間ができてしまった。
このことについてはすでに書いたことだが、しつこく書くと、時間つぶしの一環として(一環といっても、それほど多くの切り札があるわけではないが)、横浜駅前のタワーレコードに行き、荷物になるというのに、何をとち狂ったのか買ってしまったのが、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハの受難カンタータ『救世主の最後の受難』H.776,Wq.233のCDである。
これは国内盤である。だから札幌に帰ってからだって買える。
でも、CDの帯の“期間限定生産”という文字を見ると、ここで買っておかなければ二度と手に入らないかも知れないという“強迫観念”にかられてしまうのである。すぐに販売戦略にはまってしまう私は、この世でもまれな純真な心の持ち主なのだろう。
でも、私が知らないだけで、実は札幌には異常な数のC.P.E.バッハの受難カンタータのファンが生息していて、あっという間にこのCDが売り切れてしまったという、地域的社会現象が起こっているのかもしれないのだ。ここで見逃すと受難してしまうかも知れない。
だから、荷物になってもしょうがないと意を決し、購入した。
「たかがCDで荷物が急に重くなるか?」と言うなかれ。
その時点で、すでに私は文庫本2冊、行きの飛行機でカバンに入れた“翼の王国”で、すでに重量が増していたのである。
“翼の王国”なんて帰りの便でゲットすればいいじゃないかと思うかも知れないが、帰りの便の“翼の王国”はボロボロに傷んでいるかも知れないし(もう月末なのだ!)、場合によってはクイズのページに、自己中心的な心無い人間がボールペンで答えを書きこんでいるかも知れない。文庫本については……確かに札幌で買える。
まあいい(←自己完結)。
C.P.E.バッハ(1714-1788)の受難カンタータである。
彼はソナタ形式の確立の上で重要な役割を演じた作曲家であるが、彼の残した作品はあらゆるジャンルに及ぶ。そして宗教音楽においても、当時はひじょうに注目を集めた。
彼は、最後には宮廷や教会の保護に依存しない、新しいタイプの音楽家であった。そして、彼の宗教作品は、教会ではなく演奏会場のために書かれ、作曲家の意図は、礼拝において宗教心をかき立てることではなく、奇蹟に対する一般的な感覚を呼び覚ますことにあった。エマヌエル自身、自分の宗教音楽を「修道院に閉じ込めるためのものではない」と語ったという。
その音楽は魅力あるものと見なされた。
二重合唱の「聖なるかな」Wq.217とオラトリオ「イエスの復活と昇天」Wq.240が1778年に演奏されたときに“アドレス・コントワール通信”に載った批評は次のようなものであった。
《この2つの声楽曲をすでに聴いた者は、この2曲だけをもってしてもわれらのバッハは音楽芸術最大の巨匠の1人として不滅の存在になろうとわれわれがいっても、それをけっしてお世辞とは思わないであろう。それらは新しさと崇高さと力に溢れ、神を讃える表現と卓越した心の歌に満ち、その技は愛好家と専門家を等しく魅了するのである》(*1)
また、彼のこの分野の作品は、ドイツにおいて合唱協会が広く発達する時期にちょうど書かれ、その発達過程に貢献した。
受難カンタータ『救世主の最後の受難』H.776,Wq.233は1770年に作曲されているが、この作品にはヘンデルのオラトリオの影響が見られると言われる(前述の作曲の意図という点で)。
エマヌエルが書いた受難曲は21曲あるが(1曲はスケッチのみ)、それは父セバスティアン・バッハやテレマンの作品あるいは自作からの借用、パロディーによって作られた(だって受難節のたびに新たに作曲するのは大変なんだもん)。
しかし、この「救世主の最後の受難」はそれらの作風とは一線を画すと言われている(CD解説によると)。
私は曲頭の、音が穏やかに重なっていく美しさにまず魅了された。
ただし、このような性格の音楽であるから、全編にわたって聴き入ってしまうという音楽ではない。それでも、エマヌエルらしい“劇的感覚”や“魅惑的な旋律美”が随所で発揮されている。
私が腕がもげそうな思いをして横浜から持ち帰ったCDは、BMG-ドイツ・ハルモニア・ムンディのBVCD38214~15(2枚組)。
演奏はシギルヴァルト・クイケン指揮ラ・プティット・バンド、ヘント・コレギウム・ヴォカーレ他の演奏(この作品の独唱陣は2S,A,T,Bs)。録音は1986年。1,890円。とてもニュートラルな美しい優れた演奏(他の演奏でこの曲を聴いたことはないが、なんとなく解るものだ←根拠のない自信)。
ちなみに、このようにCDを購入した結果かどうかは定かではないが、このあと私はどしゃ降りという受難に遭うことになった。
なお、参考までに書いておくと、エマヌエルの作品についている番号の、Wq.はヴォトケーヌ(またはヴォトカンヌ。A.Wotquenne)による、1905出版/1965改訂の作品目録の番号。H.はヘルム(E.Helm)による1989年出版の番号である。
エマヌエルの名声は父親をしのぐほどになったが、その後父セバスティアンの音楽が話題になるにつれ(父は存命中は田舎町の教会の音楽監督に過ぎなかったのだ)、次第に忘れられていった。彼の死後20年ほどで、エマヌエルは音楽史における過渡的な存在とみなされるようになった。
バッハ愛好家として知られるサミュエル・ウェズリーは、その回想録のなかでエマヌエルについて次のように書いている。
《エマヌエル・バッハの作品は一般に、傑出した父親セバスティアンの創作を特徴づけるあの崇高な偉大さにおよばないにしても、それでもなお高く評価し注目するに値する。それらは主として鍵盤楽器のための音楽から成り、一般に洗練された優雅さと流暢な書法のゆえに注目される。次の逸話はセバスティアンの温和な性格を物語る例であろう。さきほど名を挙げた息子がある転調に当惑し、そのことを父に告げたとき、父親は息子の手からペンを取り、すべてを正しく書き記したのち、ペンを返しながらこう語った。「息子よ、こういうふうに書いてみたらどうかね?」》(*1)
大バッハのその次男坊は、近年再評価の傾向にある。実際、決して「過渡期の作曲家」だけで片付けられるような音楽家ではないと思う。
※ *1)はパーシー・M・ヤング(角倉一朗訳)「バッハ家の音楽家たち」(白水社:バッハ叢書8)より引用。他の部分についても同書を参考にしました。
