「ショスタコーヴィチはひどく神経質になっていたが、深く感動してもいた。彼は、『何も言えないけれど、でも……』と言っただけだったが」
これは1969年5月29日、カラヤン/ベルリン・フィルがモスクワ でショスタコーヴィチの交響曲第10番を演奏したあと、会場にいた作曲者がカラヤンに言った言葉である(中川右介著「
カラヤン帝国興亡史」(幻冬舎新書。この冒頭の文の原典はR.オズボーン著「カラヤンの遺言」)。
カラヤンはショスタコーヴィチの交響曲では、第10番しかレコーディングしていない。
1967年にグラモフォンに録音、81年にも再録音している。
ショスタコーヴィチの交響曲第10番ホ短調Op.93は1953年に作曲された。
前作の交響曲第9番(変ホ長調Op.70)が作曲されたのが1945年であったから、8年のブランクがあったわけである。
第9番は戦争終結の勝利の交響曲として作曲されたのだが、出来上がった作品は室内管弦楽的な軽妙な作品であり、このことが西欧的とされ、1948年の共産党の批判の対象になった。要するに、「第九」という記念碑的な意味合いをもつ番号の交響曲に、誰もがベートーヴェンの「第九」のような作品を期待したのだった。ところが、皆、肩透かしにあったのだ。
それから8年、彼の第10交響曲は発表されるときに世界中の注目の的となった。
この曲がスターリンの死の直後から書き始められたということも、様々な憶測を呼んだ。
発表されたこの作品に対するソ連国内での論争は、
(1) 暗すぎる。「社会的リアリズム」の芸術作品は、根底において人生肯定的・楽観的なものでなければならないのに、この曲はその要請にマッチしていない。
(2) 最初の3つの楽章と、終楽章とのバランスを欠いている。終楽章の「勝利」が弱い。
の2点に集約されるものだった。
ショスタコーヴィチ自身はこの作品について、「この作品のなかで私は人間の感情と熱情を描きたかったのである」と述べている。
いまやすっかり偽書に位置づけられてしまっているが、S.ヴォル コフの「
ショスタコーヴィチの証言」(水野忠夫訳。中央公論社。現在は文庫で出ているはず)の中では、この第10番について以下のように書かれている。
《スターリンを神格化する曲をわたしは書けなかった、まったくできなかったのだ。第9交響曲を書いていたとき、自分が何に向かって歩いているかを知っていた。しかし、それでもわたしは音楽で、つぎの第10交響曲のなかでスターリンを描いた。わたしがそれを書いたのはスターリンの死後だったので、この交響曲の主題が何であるかは、今日にいたるまで誰にも推測されていない。だがあれは、スターリンとスターリン時代について書いたものであった。第2部のスケルツォは、おおざっぱに言って、音楽によるスターリンの肖像である。もちろん、そこにはまだほかのものもたくさんあるが、それが基本的なものだった》(208p)
この曲は4つの楽章からなる。
そして有名な話であるが、第3楽章にはD-Es-C-Hのモティーフが現われる(スコアのフルートとピッコロのパートの48小節目の3拍目 の音から。スコアは全音楽譜出版社のもの)。ショスタコーヴィチは「この4つの音は自分の名前のドイツ音名、D.Schostakovich、であり自己の署名なのだ、と言っている。このモティーフはその後、何度も曲に現われる。
また、同じ第3楽章にはホルンによって、E-A-E-D-Aという音型が現われるが(下の楽譜)、作曲者はこの12回も繰り返し登場する音型については何も触れていない。触れていないのは実に奇妙である。
吉松隆はこれについて、「この音型と、それを先導するG音との組み合わせを並べてみると、Ge(n)aeda(ジナイーダ)という女性の名前が浮かび上がってくる」と指摘している(「世紀末音楽ノオト」音楽之友社)。
このようないろいろな問題をはらんだ交響曲で あるが、ショスタコーヴィチの交響曲の中でも傑作に位置づけられる作品である。
先に書いたようにカラヤンは1967年にレコーディングしているが、写真は、そのCDのリプリント盤である。エコー・インダストリーというところのもので、一時期、活気のないCDショップや本屋のワゴン、あるいはなぜかちょっと大き目のドラッグ・ストアなんかで売られていた。定価2,000円と書かれていながら1,000円以外で売られていたことはなかった。こんなリプリント盤に手をだしてゴメン……。私、いまで は反省してます。
この演奏を聴くと、整然としているが、それがあまりにも強く、私には楽しめない。でも、これがカラヤンという指揮者の演奏スタイルでもある。
そして、彼のモスクワ音楽院大ホールでのこの交響曲の演奏について、中川は「カラヤン帝国興亡史」でこう書いている。
《ショスタコーヴィチが終わった後の聴衆の熱狂ぶりにはすさまじいものがある(ライヴ録音され、現在はCDになっている)。実際、演奏もすさまじい。この曲が孕む狂気と絶望が、オーケストラの能力を超える推進力によって表現されている。破綻しそうになるのだが、そうはならない。絶望的なのだが、美しい。これこそが、カラヤンの音楽だった》
私はこのライヴ盤を聴いたことがないが、67年録音の演奏は(リプリント盤という影響も多少はあるのかも知れないが)そんなすさまじさはない。
そして、このステージのときに作曲者がカラヤンに言った言葉が、冒頭のものである。
ただし、中川はこう書いてもいる。
《演奏が終わると、客席にいたショスタコーヴィチは、聴衆の拍手を浴びながらステージに上った。カラヤンと話している写真はあるが、この作曲家がいつもそうであるように、本心を隠す、ぎこちない表情ではある。ショスタコーヴィチは後にオイストラフに「自分の交響曲がこんなにも美しく演奏されたのは初めてだ」と語ったという(もっとも、「美しい」がほめ言葉だったのかどうかは、この場合分からない)》
それにしても、カラヤンがショスタコーヴィチの交響曲の 中でも、なぜ第10番を気に入ったのか、不思議である。彼は「自分は作曲はしないが、もし、したとしたら、ショスタコーヴィチのような曲を書いたであろう」と語ったというが、その割にはレコーディングしたのは10番だけである。帝王は何思ふ……
なお、CDとしてはここではバルシャイ指揮WDR(ケルン放送)交響楽団の交響曲全集を挙げておく。
そういえば、LP時代に聴いていたキタエンコ指揮モスクワ放送so(メロディ)も、けっこうよかった……
新館入口(2014.6.22~)
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