ベートーヴェンの交響曲第3番変ホ長調Op.55「英雄」(1803-04)。

 ナポレオンに献呈する予定で作曲され、手稿の表紙には「ボナパルト交響曲」と書かれていた。ところが、ナポレオンが皇帝の座に就いたという知らせを聞いたベートーヴェンは、あいつも他の権力者と変わらなかった、と頭にきて、出版の際には単に「英雄交響曲」と名づけたのだった。このあたりの話は、良い子の名曲辞典なんかを読むと、たいそう劇的に記述されているはずだから、詳しいことを知りたい方はそっち方面でどうぞ。

 こういうことの影響から、日本でもこの年に生まれた男の子には「英雄(ひでお)」という名が多い、というのはまったくのウソである。その頃の日本では、ブームの名前は、まだ権兵衛とか留吉、あるいは上様とかご老公(そりゃ、名前じゃない)の時代。って、私は何で単独でウソの提起をし、勝手に回答しているのだろう?
 この年、フランスではベルリオーズが生まれている。

 ベートーヴェンはこの3曲目の交響曲は、交響曲という音楽形式を、構想においても規模の面においても、一挙に拡大した。
 曲の長さは50分ほどであり(第2交響曲は35分ほど)、逆に言えば、コンサートなどにおいても、この曲にどうしても興味を示すことができない人は、地獄の長さに耐えなければならなくなる。眠ってしまって、いまだに第2楽章の葬送行進曲を聴いた覚えがないという人もいるに違いない(わけないか……)。

 ベートーヴェンの男臭さが顕著になってきている作品であり、演奏もどっしり、がっしり、エンヤコラサというものが多い。実際、私もこの曲は低音がどしっとした演奏が好きである。第3楽章のホルンのトリオは、音がひっくり返らない演奏が好きである。
 ホルンついでに言うと、この交響曲、ホルンがこれまでにない画期的な使われかたをしているという。特に、第3楽章のトリオ(というスケルツォ楽章の中間部のこと)を、ホルンのトリオ(三重奏)でやらせる部分は、ベートーヴェンが放ったはかないジョークながらも音楽は素敵!

 ところが、今から10年前に発売されたデヴィット・ジンマンがチューリヒ・トーンハレ・管弦楽団を指揮した演奏(1998年録音)を聴いたときは、ちょいとびっくりした。
 この演奏は、モダン楽器使用によるベーレンライターの新版の世界初録音ということだが(交響曲全9曲がそうである)、この「えいゆう」を聴くと、「えっ?これって“ひでお”じゃん」と感じてしまう。いえいえ、私は全国の「英雄」と書いて「ひでお」と読む人に何の恨みもありません。
 とにかく、威厳がない。どっしりしていない。落ち着きない。女好きっぽい……
 いえいえ、ですから“ひでお”さんに恨みはないですって!

 でも、おそらくはこれが当時のベートーヴェンの演奏だったのだろう。私たちは重厚で威厳がある演奏に慣らされすぎてしまったのだ。ドイツの陰謀だ。
 私は、モーツァルトに関しては重厚なものよりも、ピリオド演奏が好きだ。でも、ベートーヴェンに関してはブラックホールみたいな異常重力の感覚が好きだ。だから、ジンマンの演奏は良い演奏だとは思いつつも、最後は選ばない。女性にefc75209.jpg 対する好みと同じである(相手も私を選ばないだろう)。ただし、4番なんかは実にハツラツとしていて、ジンマンの演奏は実に良い。

 ところで、この演奏で「うほぅ」ってところを1つ!
 第1楽章655小節目から、トランペットが高らかに主題を吹き鳴らすところ。ひっどく高揚する場面だ。
 ふつうは上の譜例のように吹かれる(655小節目から写っている)。
 ところが(知っている人は知っている話だけれど)、このトランペットの音は最初に吹かれるだけba0b5ea8.jpgで、あとは旋律を吹くという仕事を放棄し、8分音符をパパパパパパと吹くだけなのである(楽譜下。657小節目 から掲載。657小節目の3つ目の音から以降が、上の楽譜と違うことが解る)。
 実は上の譜例は、著名な指揮者だったワインガルトナーが書いた「ある指揮者の提言 ―ベートーヴェン交響曲の解釈―」(糸賀英憲訳。音楽之友社)に書かれている、「音を補強した」楽譜である。写真に写っている文字にもあるように、このようなトランペットの補強はハンス・フォン・053299a5.jpg ビューローが行なったものだが、ワインガルトナーも「そうだそうだ!」と書いているのだ。
 「この修正なしではこの主題は、はっきりと浮かび上がってこないので、これはまったく正しいように思われる」だってさ。
 ジンマンの演奏では、この補筆がない。つまり下の楽譜のとおり(掲載した楽譜は全音楽譜出版社のもの)。なかなか奇妙に聴こえる。ねっ、英雄君?
 ジンマンの演奏、ほかにもいろいろと新しい変化があっておもしろい(リリースされてからだいぶ経ってしまったんで、今さらそう言うこと自体陳腐ですけどぉ)。

 ふつうはビューロー補筆版で演奏されている。この「提言」は、音楽家にとって、実にありがたい教科書だったわけである。最近の新録音は知らないが、CDもだいたいこれに倣っている。
 その昔、「あっ、このスコア間違えてる」なんて大c6a3c936.jpg騒ぎしなくてよかった。

 さっき書いたように、でも私は昔ながらの演奏 スタイルの「英雄」が好きである。
 愛聴しているのはアンドレ・クリュイタンス指揮ベルリン・フィル(1958年録音)。なになに、クリュイタンスってドイツ人じゃなくって、ベルギー→フランスの指揮者じゃないかって?
 いいじゃあないの、お客さん!過度に重くなくってよいことよ。CDは東芝のセラフィム・レーベルのTOCE1561。でも廃盤。関係ないけど、LP時代にレコード・ショップでセラフィムのことをセラフィルムと言って大恥をかいたことがある私……

 ちなみに、2000年発行の「リーダーズ・チョイス」(音楽之友社)における、「英雄交響曲」の1位はフルトヴェングラー/ウィーン・フィルの1952年もの。
 さてさて、ベーレンライターの新しい楽譜によるベートーヴェンは主流になっていくの(なってしまっているの)か?