あいかわらず、新しいTREviewにはよく解らないことがある。
 レビューとブログの新着表示の時間差とか、レビュー記事がリストに出てこないとか(ポイントがゼロでも載ってくるのが当たり前と思うのに。でなきゃ、闇に埋もれた記事は埋もれっぱなしになる)。あるいは、新着レビュー記事に掲載されているのに、新着ブログ記事の方には掲載されていないとか(それなのに、時間が経てばブログランキングには載ってくる。つまり、レビュー記事はブログ記事と見なされていないわけではないみたいだ)。
 カテゴリー用バナーは「トップ」用と、たとえば「クラシック」用とで、クリックされた場合の反映がどのような違いでなされるのかもわからない。「クラシック」用なら「クラシック」にしか反映しないが、「トップ」用ならオールマイティーで総合ポイントになるのだろうか?えぇい、2つ載っけちゃえ!っとなると、無意味に飾り立てた、大屋政子の顔のような記事になってしまう(たまには、本文よりバナーの占める面積の方が大きくなったりしてね……)。

 他にもいろいろ。
 内容が一新されたのに、使い方やランキングのからくりについての説明が追いついていないっていうのも、不親切さを感じさせる。
 詳しい人には簡単なことなんだろうけど、私にはよく解らないままだ。
 何が不満だか、何が私を納得させないのかさえ、解らなくなってきてしまった。私は誰?私はどこ?私は良い人?じゃあ、私のこと愛してる?

 まっ、いいけどさっ、とも思うけど、なんだかすっきりしない。
 ハルンケアを飲みたい気分だ。

 旧TREviewと新TREviewとが連動していないという理由からではないが、今回は昨年の9月に取り上げた作品を再度取り上げる。闇に埋もれたままにするにはもったいない作品だからだ。それ以前に、この記事が闇に埋もれたままになる可能性も低くないが……
 それは、G.ペレーツィスの「ピアノと室内管弦楽のための『コンチェルティーノ・ビアンコ」ハ長調(1984)。
 再度取り上げるのは、当時はまだCDの写真を掲載するなどのビジュアル・テクを、私が習得していなかったせいでもある(テクねぇ……)。

 ペレーツィスは1947年ラトヴィア生まれ。古楽に傾倒しており、シンプルな作風が特長らしい。
 「コンチェルティーノ・ビアンコ」とはイタリア語で「白の小協奏曲」の意味。
 つまりピアノは白鍵しか使わない。
 曲は3つの楽章からなるが、ほとんどムード・ミュージックe3c98000.jpg 。でも、耳に心地よい。いつも聴いていると廃人になってしまいそうな、酸素カプセルの中にいるような快感だけど。
 私がこの曲を知ったのはNHK-FMの昼の番組で流れたのを聴いたから。
 平日の昼間に、なぜFM放送を聴く機会があったのかを説明すると、ひじょうに長ったらしくなるので書かないが、別にさぼっていたわけではないことだけは、ここで強調しておきたい!
 番組で解説をしていたのは吉松隆さんだった(はずだ)。

 CDはエラートのWPCS4926。他の収録曲は、ウストヴォルスカヤの「ピアノ、弦楽とティンパニのための協奏曲」、グバイドゥーリナの「ピアノと室内管弦楽のための協奏曲『イントロトゥス』」、グレツキの「ピアノと弦楽のための協奏曲Op.40」。ペレーツィスとウストヴォルスカヤの曲が、世界初録音。

 この4曲に共通していることは何か?
 いずれもピアノを独奏としている、なんてことは答えとして認めませんよ、お嬢さん!
 どれも、旧共産圏の作曲家の作品である。東側の音楽である。
 耳に心地よいのは、極論を言えば、西側の現代音楽よりも時代遅れだからである。あるいは、西側の音楽は変な方向に突き進んでいってしまったからである。
 でも、だからといって、CDのタイトルがなぜ「モザイク」なんていうエッチくさいものなのかは不明だ。
 
 演奏はアレクセイ・リュビモフのピアノ、ハインリヒ・シフ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニー。録音は1995年。

 そういえば、あるとき何人かでイタリア料理店に行ったとき、私は「次の飲み物はワインにしよう。え~と、ジョヴァンニ・カルロ・オットリーノ・リッカルド・ビアンコ・ロッシーニはあるかな?」と、その中の1人に言ったら、「ワインにそんなに詳しいなんて、すっごぉぉぉ~い」と、ひどく賞賛された。
 まったくのウソの名前です(すぐばらしたけど)。イタリアの音楽家の名前をグニャグニャに並べただけである。
 でも、この中で1つだけ正しいことがある。白ワインの“白”は“ビアンコ”である。

 話をTREviewに戻すが、レビュー記事の分類もよく解らない。
 クラシックの小項目としてあるのは「クラシック」「オペラ」「現代音楽」「その他」である。なんか、変な分類である。私は、今回のような現代音楽作品の場合でも、基本的には、小分類でも「クラシック」を用い、「現代音楽」にはしないことにする。解りにくいから。