B.バルトーク(1881-1945)のバレエ「かかし王子」Op.13,Sz.60,BB.74(1914-16,1917初演)。
 近頃は「かかし王子」ではなく「木製の王子」という邦題4264b0b9.jpg で呼ばれることが多いが、「かかし王子」の方がダイレクトで分かりやすい(英名はThe Wooden Prince)。なぜ「木製の」なんて硬い言い方をるのだろう?“かかし(案山子)”自体が過去のもので、最近では珍しく一般には理解されないからだろうか?あるいは、まさか“かかし”が差別用語ってことはないと思うけど……

 “かかし”って昔は農村風景に当たり前のように見ることができたが、最近は本当に見かけなくなった。おそらく鳥が利口になったせいだ。鳥は作り物になんかに怯えなくなったに違いない。その一因にかかしの服装もあるのではないだろうか?。笠に和服姿の作り物は、どう考えても未知の物体だ。つまり人間に見えない。ただの置き物だ。どうしてそれを鳥たちが怖がるというのだろう?
 今や鳥防止策は「バンッ!」と一定時間ごとに鳴る空砲のような爆発音だが、あれだって定期的に鳴っているのだから、そのうち単なる脅しだとばれるだろう、鳥たちに。

 「かかし王子」はバルトークの残した唯一のバレエである。「中国の不思議な役人」もバレエではあるものの、パントマイムなので厳密な意味ではバレエとは言えない。台本はB.バラージュ(1884-1949)による。
 1912年にブダペストで行われた「ペトルーシュカ」の公演を観たブダペスト歌劇場の支配人が、バルトークに対してペトルーシュカのようなバレエを、と依頼したことによって「かかし王子」が書かれることになる。

 物語の筋は、
 「美しい王女に一目ぼれしちゃった王子は、彼女のところに行こうとするが、彼女のそばにいる妖精が、森に魔法をかけて王子の行く手を阻んだり、川の流れに魔法をかけて橋を渡らせない。『はてさて』と森の中で考え込んだ王子が出した結論は、杖に自分の上着を着せて高く掲げ注意をひくこと(この発想がすごい!)。でも王女は気がつかない。さらに王冠もかぶせる。王女は知らんぷり。しょうがないと、今度は自分の髪を切ってかぶせてみた。こうして『かかし』の出来上がり。その『かかし』を見た王女は、なんて素敵なおもちゃなのでしょうと、その出来損ないの(たぶん)人形を取りに来る。さらには、あの妖精がこの『かかし』に命を与えちゃう。おバカな王女はこの命を与えられた『かかし王子』と踊りまくる。『やれやれ』と失意の王子。すると妖精は、急に心変わりしたのか、王子を慰め、魔法で花から上着と王冠と髪の毛を作って王子を飾り立てる。一方、王女の乱舞に振り回された『かかし王子」はすでにボロボロ。本物の王子を見た王女は、『やっぱ生身の人間がいいわ』とばかり、王子を誘惑する。『この尻軽のバカ女め』と一度は王女を拒否する王子であったが、王女が絶望の中で自分の上着や王冠を放り出し、髪の毛まで切ってしまったのを見て、彼女を抱く。あぁ、真の愛情!ということで、二人は結ばれる。めでたし、めでたし」っていうものである。

 諸井誠によると、《バレエ「かかし王子」の下敷きになっているのは、モーツァルトのオペラ「魔笛」であると言われている。「魔笛」の通過儀礼に相当するのが、「かかし王子」では、王子と王女に試練を課す小川であり、森であり、大自然である》という(「音楽の現代史」岩波新書)。

 ストーリー的は、同じように人形が出てくる「ペトルーシュカ」を思い起こさせるが、バルトークは「2つの肖像」の初演時に「かかし王子」の着想を得たという。すなわち、「肖像」での第1楽章の「理想的なもの」が第2楽章では「醜いもの」になるように、「かかし王子」においては「王子の主題」がグロテスクな「かかし王子の主題」に変形させるというものである。

 この曲はストーリーのメルヘン性のためか、バルトークの音楽としてもとりわけ色彩感が豊かである。旋律面でもなじみやすい。
 昔「ロミオの青い空」というアニメがあった。最近は歌っていないが、このテーマソングは、私の数少ないカラオケの重要なレパートリーの1つである。なぜ最近歌っていないかというと、最近は誰も私をカラオケに誘ってくれないからである。「♪心のブルースカぁイ~」ってか?
 その話はともかくとして、このアニメの中では、「かかし王子」のなかのおどけたメロディーがしばしば使われていた。なかなかマニアックでにわかには信じがたいだろうが、「ロミオの青い空」にはバルトークも使われていたのである。

 この曲には作曲者による組曲もある。
 私は組曲でこの曲を知った(組曲には2種類あり、1つは15分ほどのもの、もう1つは30分ほどのものである。私が聴いたのは30分ほどの方の組曲。なお全曲は1時間弱である)。こういう作品では全曲を聴くのがもちろんいちばんではあるだろうが、組曲でもこの曲の魅力を体験することができる。
 霧のなかから湧き上がってくるような混沌とした美しさをたたえた開始、おとぎ話を彷彿とさせるメロディーと色彩感豊かな音響、おどけたリズム……。この作品はもっと聴かれてよい曲だと思う。

 私が持っているCDはブーレーズ指揮シカゴ交響楽団の演奏のもの。1992年の録音でグラモフォンのG435 863-2(輸入盤)。カップリングはカンタータ・プロファーナ「魔法にかけられた鹿」。現在は廃盤。

 それにしても、作り物の“王子”に熱中する王女の様は、ダッ○ワ○フに擬似的恋愛感情を抱く一部の青少年を連想させるような気がしないでもない?