A.ドヴォルザーク(1841-1904)の序曲「謝肉祭」Op.92,B.169(1891)。

 ドヴォルザークはチェコの国民楽派最大の24bd1c08.jpg 作曲家である。
 現在でも彼の多くの作品は演奏会のレパートリーに残っているが、存命中の人気は今以上であったという。今日で言えば、氷川きよしの次の新曲を皆が――限定的な“皆”が――心待ちにしているのと同じ状況だったのだろう。

 彼は農民出身だが、実際、その音楽は「土」を感じさせる。土といっても、伊福部昭の土着的とかロシア作曲家の土臭さとはまた違う、「肥沃な畑土」という感じである。洗練されてはいないが自然に還ろう的な人なつっこさが彼の魅力だろう。

 「神、愛、母国」がモットーだった彼は、同時代の他の作曲家と比べても、ノイローゼ的要素が最も少ないとされている。
 ハロルド・ショーンバークによれば、「ブラームスは絶望的な憂鬱感を経験し、チャイコフスキーのノイローゼは、途方もないほどひどかった。マーラーのノイローゼは、それに比べればチャイコフスキーのノイローゼが健康的に見えるほどで、ブルックナーは座って震えながら神の啓示を待った神秘家であり、ワーグナーはひねくれたエゴイストであり、リストは複雑で矛盾に満ちた天才だが、いかさまのイエズス会牧師だった」のである(「大作曲家の生涯」共同通信社)。
 それにしても、よくこれだけ酷評できるものだ。こういう表現方法はぜひとも見習わなければならないと、病弱を装い、かつ外面(そとづら)がいい穏健派の私は真剣に思ってしまう。

 そんななか、ドヴォルザークの場合はいたって健全で、こんなに健全な作曲家は、ほかにヘンデルとハイドンぐらいしかいない。あんまり“健全さ”を強調すると、逆に思慮深くないような、端的に言えばオツムがちょっと足りないような印象を与えてしまうかもしれないが(例えば、「あの人、頭良すぎるよね」という言い回しは、ちょっぴり毒を含んでいる)、決してそんな意図はない。
 ドヴォルザークはまた、すばらしいメロディー・メーカーの一人であり、そのメロディーの多くは民族的である(民謡をそのまま用いたのではない)。

 音楽以外に彼が唯一熱中したのは、汽車だった。
 彼はプラハのフランツ=ヨゼフ駅に日参し、列車の時刻表を全部暗記し、機関士と友達になれたときが最高に幸福だった。
 この鉄道ファン(あるいはマニア)という点においては、ほんのちょっとだけ私に似ている。
 私が鉄道に興味を持ったのは小学2年生の頃だった。理由は分からない。大人になったら国鉄を乗っ取って、社長になってやろうと真剣に思っていた。国有鉄道なのにいちばん偉いのは社長だとも、真剣に思っていた。
 どうでもいい話だろうが、当時、千歳線の駅は、札幌、苗穂、東札幌、月寒(つきさっぷ)、大谷地、上野幌、北広島…だった。現在は、札幌、苗穂、白石、平和、新札幌、上野幌、北広島…である。今とは異なるところを鉄道が通っていたのだ。
 
 鉄道熱はその後治まったのだが、再び高まったのは高校に入ってからだ。札幌駅に行っても、もう補導される年齢でもなくなったので(私は小学6年生のときに札幌駅で補導されかけたことがあるのだ。ただ、駅でじいちゃんとはぐれウロウロしていただけなのに……)、バカチョン・カメラ(ひどい名称だがすばらしい命名である)を持って、駅で列車の写真を撮った。北海道を走る特急「おおぞら」「おおとり」「北海」のすべてに、意味もなく乗ってみた(ただしどれもキハ80系という、「北斗」と同じ車両形式である。80系気動車はもう現役を引退している)。あぁ、非生産的な青春!
 
 ドヴォルザークと違って、私には機関士(運転士)と友人となりたいという趣味はなかったし、頭が鈍いので時刻表は暗記しなかった。ただし、時刻表の誤植を発見して、発行している日本交通公社(JTB)に、何度か指摘のハガキを書いた。間違いなく、相当嫌われていただろう。

 ドヴォルザークは1885年にプラハの南方にあるヴィソカーという村に別荘を買った。
 ここの自然豊かな景色を気に入った彼は、その後毎年、春から秋までを過ごすようになった。
 1892年秋に、ドヴォルザークはニューヨーク・ナショナル音楽院の院長に招かれ渡米することになるが、その数ヵ月前のプラハでの告別演奏会で3曲からなる組曲「自然と人生と愛」が初演された。これは3つの序曲から成り、第1曲が「自然」(1891)、第2曲が「人生」(1891)、第3曲が「愛」(1891-92)である。ありゃ、そのまんまか……
 この曲は1894年に出版される際、それぞれ「自然の中で」Op.91,B.168、「謝肉祭」Op.92,B.169、「オセロ」Op.93,B.174と改題され、独立した演奏会用序曲となった。
  
 序曲「謝肉祭」は、ドヴォルザークの作品としては決して頻繁に演奏されるものではないが、3つの序曲のなかでは演奏頻度がいちばん高いと思われる。
 私は中学のときに初めて耳にして以降、親しんできた曲である。お祭り騒ぎのにぎやかで楽しい雰囲気と、途中に現われるしっとりした部分(騒がしい中、ふと我に返り、何かを思い出すかのような)。そのいずれもがいかにもドヴォルザ9d8878b0.jpgークらしい魅力を備えている。
 ドヴォルザークはこの曲について、「旅人がたそがれにボヘミアの、とある町にたどり着くと、町中が謝肉祭の喜びに湧きかえっている。人々の心は歌と踊りの激しい音楽の中で興奮する」と述べている。

 いま、私の手元にあるのはカンゼンハウザー指揮BBCフィルのCDのみ。ドヴォルザークの序曲集で、この一連の3曲と、歌劇「ヴァンダ」Op.25序曲、「わが家」Op.62が収録されている。1992年の録音。NAXOSの8.550600。

 個人的には、もう少し重心が低い響きの方が好きだ。それにちょっと都会的すぎる。村の祭りというよりも、人口2万人ほどの町村の祭りみたいな感じである。

 鉄道に関連して、上の写真は今から28年ほど前に撮った早朝の札幌駅の1番ホーム。寝台急行「大雪」が到着したところである。写っている車両はオロハネ10といって、当時でも珍しい存在。ロ=A寝台とハ=B寝台が1つの車両にあった。それを区分けするために中央付近にドアがあった。
 今度、キハ80系の写真を探しておくから!