P.I.チャイコフスキー(1840-93)の交響曲第4番ヘ短調Op.36(1877)。

 チャイコフスキーは交響曲を6曲(ほかに番号のついていない「マンフレッド交響曲」がある)を書いたが、1-3番と4-6番とでは、その円熟度というのがかなり違う(「完成度」というほど私には分からないので……)。

 この第4番は悲痛ともとらえられるホルンのファンファーレ4c08bb32.jpgで開始されるが、この主題は「運命の主題」である(掲載譜。楽譜は全音楽譜出版社のもの)。
 チャイコフスキーはこの主題について、「これは運命です。これは目的を遂げようとする幸福への衝動を妨げる運命の力であり、それは幸せと平安とがみちあふれ晴れわたらないようにと、嫉妬深く看視している力であり……」とメック夫人に宛てた手紙に書いている。

 1877年という年は、チャイコフスキーにとって大きな出来事が2つ起こった年であった。
 結婚したことと、ナジェージダ・フォン・メック夫人との不思議な関係が始まったのである。

 結婚した相手はアントニーナ・イワーノヴナ・ミリューコワという名前の、モスクワ音楽院での教え子の1人であった。
 しかし、《結婚生活は明白な失敗に終わった。アントニーナは(愛くるしいが)愚かな女性にすぎず、しかも淫乱だった。繊細で、常に怯えがちなホモにとって、決して似つかわしい配偶者ではなかった。チャイコフスキーは直ちに、自らの大失策に気づいた。「もう2,3日遅れれば、気が狂っていたことだろう」。事実、彼は川に身を浸して肺炎を招くという方法で自殺を図りもした。結果はひどい風邪を患うにとどまった。弟で、同じくホモのモデストが彼を川から引き上げ、2人してペテルブルグに脱出した。同地でチャイコフスキーは神経衰弱になった。結婚生活は9週間続いた――つまり、9週間後には破局を迎えた。彼はアントニーナに仕送りを続け、彼女は次々に恋人を作った。アントニーナは1896年に精神病院に収容され、1917年に没した》(ハロルド・ショーンバーグ著「大作曲家の生涯」:共同通信社)

 チャイコフスキーが結婚することに悩んでいる状況は、昔のソヴィエト映画「チャイコフスキー」に印象深く描かれていた。いわゆる伝記映画であったが、なかなかおもしろい映画であった。

 もう1つの出来事はメック夫人との文通が始まったことである。
 文通が始まったころ、彼女は巨額の財産を持つ7人の子供がいる、47歳の未亡人であった。
 音楽好きの彼女は、チャイコフスキーと決して会わないことを条件に経済的な援助を申し出たのだった。チャイコフスキーはこれ以後、14年にわたって多額の年金援助を受け、2人がやりとりした手紙の量は膨大なものとなった。
 なぜ彼女がチャイコフスキーと会おうとしなかったのかは謎である。一方で、ホモで人見知りが激しいチャイコフスキーにとっては、この上ない条件だっただろう。そうでなければ、手紙だけでの関係がこれほど続くわけがない。

 なお、彼女からの年金援助は1890年に途絶えることとなる。当然ながら、これはチャイコフスキーに打撃を与えた。

 《(彼は)夫人は破産しそうだと思ったのだが、実際には、そうはならなかった。しかし、年金の取り決めを突然、ご破算にし、チャイコフスキーの手紙に返事を書くことも拒んだ。彼は愕然とした。金が問題だったのではない。多年にわたって築かれた情緒的親近感が、移り気な女性の気まぐれにより突然崩されたと感じて、みじめさを味わったのだ。この苦味は、残りの全生涯を通じて消えなかった。「私の人類観のすべて、最良の人士に対する信頼の念がくつがえされた」》(同)

 なぜメック夫人はチャイコフスキーを拒絶するようになったのか?
 それも謎であるが、このころ、彼女の精神状態が不安定だったことは確かなようである。「チャイコフスキーがホモであることを知って、夫人は絶縁することを決意した」という説もあるが、それを立証する材料は見つかっていない。

 最初に書いたように、チャイコフスキーの交響曲第4番は「運命の主題」で始まるが、同じ「運命」でもベートーヴェンが「運命動機」について「運命はこのように扉を叩くのだ」と語った(と言われる)のとは、まったく様相が異なる。
 ベートーヴェンの場合は「格闘」であるが、チャイコフスキーの場合は「がんとして動かずにつねに魂をさいなむ運命の力です。この運命の力は征服されないもの、しかも決して抑えられないものです。それと妥協し、むなしく嘆き悲しむほかありません」(メック夫人への手紙)という「無力」なものである。しかしながら、終楽章では高らかに「勝利のような爆発」となる。これはどういうことか?
 チャイコフスキーは「あなた自身のなかに喜びのための動機を発見できないならば、他の人々をごらんなさい」という。やっぱり、変なおっさんである。つまり、喜んでいる他人を見ていれば自分も楽しくなる。でも、そんなことしていると、また運命が現れて我に返らされる。でも、人々はそんな自分に目もくれないよ、っていうものである。やれやれ……

 曲は4つの楽章からなる。
 第1楽章は「運命主題」から始まり翻弄されるさまを描くが、第2主題は「現実からはなれて幻想にふける方がよくはないか?」と作曲者が述べているもの。あぁ、逃避、白昼夢……。でも、おっしゃるとおり、おみごと!
 第2楽章は、第1楽章の意味を静観するもの。とても切なく美しい。チャイコフスキーは「仕事に疲れ、ただ一人座り、そして本を取り上げたがその本が手からすべり落ちたという夕暮れいあらわれるメランコリーの感じ」と書いているが、よく分からない表現ながらも、この楽章はそんな感じである、って私も混乱している。
 第3楽章は、弦楽は一貫してピッチカートで演奏するという、斬新なもの。
 終楽章は、先ほど書いたように他人の喜びで自分の運命55e2109c.jpg をしばし忘れましょう的な、狂乱音楽。ちゃんと「運命主題」がよみがえり、我に返らされるが、人々の喜びで曲は終わる。
 でも、さすがチャイコフスキー。すばらしい交響曲である。

 さてCDであるが、ここではエフゲニー・ムラヴィンスキー指揮のレニングラード・フィルの演奏をご紹介しておく(1960年録音)。

 チャイコフスキーの音楽って、心理学と照らし合わせていくと、おもしろいのかも知れない。