P.I.チャイコフスキー(1840-1893)の交響曲第5番ホ短調Op.64(1888)。

 一昨日、彼の第4交響曲を取り上げたが、そのブログ・タイトルは「もう1つの『運命交響曲』」であった(と思う)。
 しかしながら、この第5交響曲も「運命交響曲」なのである。そこで今日のブログ・タイトルは「またまた『運命交響曲』」とか「続『運命交響曲』」とかにするのが適当であろう。でも、しーない!

 この第5交響曲も第4番と同じように冒頭から「運命のdf71e48b.jpg主題」が奏される。第4番ではホルンとファゴットによって、抗しきれないようなパワーの「運命の主題」で開始されるが、第5番の「運命の主題」はクラリネットによって、「もう抵抗する力もありません」というように実に陰鬱に始まる(写真の楽譜。なお楽譜は全音楽譜出版社のもの)。
 言うまでもないが、同じ「運命の主題」でも第4番と第5番のものは別物である。
 それにしても、こちらの開始の方は悲しいまでに無力感が漂う。

 この交響曲、響きがモノトーン気味なのも、さびしさ、やるせなさをいっそう誘う。それは、楽器編成にもある。つまり、トライアングルやシンバル、大太鼓といった、ロシア音楽につきものの(ひどい思い込み!)鳴り物が入っていないのである。
 札幌交響楽団でも、この曲は昔から比較的よく取り上げられていたが、血気盛んな中学生にとって(私のことです)、こういう地味めな響きはそう面白くはなかった。せいぜい、当時トランペットを吹いていた(主席不在の主席代行だったと思う)金子さんという奏者が、真っ赤になるのを観るのが楽しみだった程度だ。あとは、曲の終りの盛り上がりかな(そこも金子さんは真っ赤!)。

 それでも、コンサートで聴く機会やFM、ディスクでの鑑賞というものも含めて、私にとってはチャイコフスキーの交響曲の中では最も高頻度で耳にしているものとなってしまった。
 1983年の定期演奏会でもこの曲が取り上げられ、それを楽しみに足を運んだのだが(人間こうも嗜好が変化するのだ)、その前に演奏された伊福部昭の「ラウダ・コンチェルタータ」にあまりにも感動し、目的のチャイコの演奏は覚えていない始末であった。

 梅田浩一氏は「絶対!クラシックのキモ」(青弓社。編著者は許光俊氏)の中で、この第5交響曲について次のように書いている。

 《チャイコフスキーの『交響曲第5番』は、彼の「折衷主義」的な側面をよく示す曲である。しかし、それは強制された折衷主義である。冒頭2本のクラリネットによって示される虚ろな「運命の主題」が全曲にわたって登場する循環形式で書かれ、フィナーレでは、この主題が、ホ短調→ホ長調、暗→明へとベートーヴェン的な「苦悩から歓喜へ」という図式となる。しかしそれは、彼自身がこの曲について「こしらえもの的な不誠実さ」を感じていたことが示すように、多分に「口実」として用意された感が強い。――(中略)――チャイコフスキーは、自らの生活や音楽が「こしらえもの」や「虚偽」ではないかという過剰な意識に苦しんだ。自前の素材(たとえば民俗的な素材といったもの)によって、作品を有機的に「作曲」できないこと、折衷主義にならざるをえないこと、心底から喜ばしいフィナーレを書けないこと、自らの生活の空虚さや欺瞞、といった意識が彼を生涯責め苛んだ。――(後略)》

 また、全音のスコアの園部四郎氏の解説には、《終楽章については、これは悲観的なものという見方と、楽天的な人生観を示すものだという見方とがある。現在のソヴィエトの音楽学者たちのあいだでは、この終楽章において、チャイコフスキーの運命とのたたかいとその勝利を力強く表現するとみる説が強いようである》と書かれているが、園部氏はこれを肯定としているわけではないようである(かなりソヴィエト部隊寄りにグラついているようにも感じ取れるが)。
 ひと昔前に、この曲のフィナーレはアリナミンか何かのCFに使われていたが、確かに「疲労回復」の力強い、「今日も元気!課長をぶっとばせ」といった前向きな音楽に聴こえる。しかし、同じようなこと、つまり「苦悩から歓喜」へという図式は、ショスタコーヴィチの交響曲第5番(ベートーヴェンもチャイコフスキーもショスタコーヴィチも奇しくも同じ5番。そういえば、マーラーの5番もそうだ)でも言われたことだが、いまやショスタコーヴィチのその歓喜は「強制された歓喜」とされているではないか!
 チャイコフスキーの場合も「楽天的な人生観」なんてかなり「はてな」である。

 第1楽章は絶望的脱力的な「運命の主題」で開始され、嘆き、絶望、ため息、懇願といった音楽が続く。
 第2楽章は何かを懐かしむような、淡い幸福を思い出すか61292692.jpgのような楽章。
 第3楽章はスケルツォではなくワルツ。最後には「運命の主題」がいやらしげに顔を出す。
 第4楽章は長調に転じた「運命の主題」から始める。激情の中、曲は進行し、最後は力強く終わるが、果たしてこれは「不安な運命との戦いから解放された凱歌」なのだろうか?

 私が薦める演奏は、意表をついて、堤俊作指揮札幌交響楽団のもの。1988年5月20日に北海道厚生年金会館で行われた、第292回定期演奏会のライヴ録音である。
 当日は私も会場でこの演奏を聴いていたが、すばらしい演奏であった。余談だが、この演奏会には高円宮殿下もご臨席していた。
 CD番号は東芝EMIのCZ30-9070。もともと市場に一般流通していたのかどうかは分からないので廃盤と言えるかどうか不明。