ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ(1710-84)の「幻想曲ニ短調F.19」。

 この作品はクラヴィーアのための「10のファンタジア」のなかの第6曲目にあたる、7分ほどの作品。しかし、第6曲とはいっても、この幻想曲集はまとめて書かれたものではなく、第7曲が1770年、第2番と第3番(この2曲はソナタF.2から改編したものである)が1784年、他の作品は1733年から1746年にかけて作曲されたと言われている。

 ヴィルヘルムは大バッハ、つまりヨハン・セバスティアン・バッハの長男で、ドレスデン、ハレでオルガニストとして活躍したことから「ハレのバッハ」と呼ばれた。
 父親が「もっとも才能ある息子」と呼んだ期待の長男であったが、彼は社会適応能力に欠けていたが、それは長男に生まれたプレッシャーによるものとも言われている。第一級のオルガニストと認められたものの、晩年は貧困生活を過ごした。

 ヨハン・フリードリヒ・ライヒャルト(1752-1814)は次のように伝えた。
 《 ひとたび彼の気質を知れば、彼の運命をもはや不思議とは思わないであろう。彼が味わった苦難はすべて、その粗野な性向、頑なな芸術の尊大さ、途方もない放心、そして不機嫌で喧嘩好きな性格がもたらしたものであり、好んで酒に酔ったとき、その性格は立派な市民生活を送るべきあらゆる権利を奪い去るのだった》(パーシー・M・ヤング/角倉一朗訳「バッハ家の音楽家たち」:白水社「バッハ叢書8」より)

 彼の音楽は、絶えず何かの重圧におびえ、イライラしているように私は感じる。
 この「幻想曲ニ短調」もそうである。
 人を引きつけるのに十分な楽想をもちながらも、ピリピリと神経症的である。
 しかし、私にはこの曲にもっと個人的な出来事が結びついている。

 この曲を知ったのは高校を卒業してまもなくのことであったが、ちょうどその時期に、高校2年生のときのクラスメイトが病気で急死した。彼とは3年間、毎朝一緒に自転車で通学した仲であった。
 私は浪人生活に入っており、彼も同じだと思っていたが、卒業してすぐに体調を崩し、あっというまに病魔に征服されたのであった。

 その急な死と、この落ち着かないファンタジーは不思議と一体化したイメージとなった。

 その後、耳にできる機会がないまま過ごしてきたが、0174f5ea.jpg 先日、タワーレコードのショップでナクソスからこの曲のCDが出ているのを発見、ほぼ25年ぶりに耳にした。
 25年経っても、やはりこの曲はあのときと同じように私の耳に届いてきた。
 それは病床で苦しむ彼のいらだちのようである。

 そのCDはナクソスの8.570530(輸入盤)。7月にリリースされたばかりで、彼の幻想曲とフーガを集めたもの。CDタイトルは彼の「キーボード・ワークスVol.2」となっている。ハープシコードの独奏はユリア・ブラウン。2007年の録音。

 彼の音楽は、あらゆる呪縛から逃れられなかった「天才の長男」の「悲しい天才」の悲鳴でもある。

 なお、彼の作品についているF.番号は、ファルク(Martin Falck)が1913年に作った作品目録の番号である。