D.ショスタコーヴィチ(1906-1975)の交響曲第2番ロ長調Op.14「十月革命に捧げる」(1927)。
 革命10周年を記念して書かれた合唱が加わる単一楽章の作品で、詞はA.I.ベズィメンスキーによる。

 1926年の交響曲第1番の初演で一躍国際的に知られるようになったショスタコーヴィチが、次に放った交響曲は一風変わった、いや、かなり変わったものであった。
 そこには当時の文化活動における複雑な社会背景がある。

 音楽活動においては、プロレタリア文化の啓蒙組織としてRAMP(プロレタリア・ロシア音楽家協会)と、前衛役な活動をするASM(現代音楽家協会)である。ショスタコーヴィチの交響曲第1番は、実のところ、この両者からは冷淡に迎えられていた。
 ショスタコーヴィチはASMの批判に応えるべく、第2交響曲では27の声部が同時に鳴り響く“ウルトラ対位法”を試みた(“ウルトラ体位”だと読み間違えた人は、助平なり)。一方、「芸術は人民全体のもの」という考えがあるRAMPの批判に応えるために、十月革命の記念行事のために、オーケストラにサイレンの音まで持ち込んで、賛歌を書いたわけである。
 この曲は国立出版所の音楽局宣伝部が、記念行事のためにショスタコーヴィチに委嘱したのだが、彼は最初この曲を「交響曲」とは名づけなかった。しかしながら、最終的には不思議な形の「交響曲」となったのだった。

 そういう時代背景は理解できるが、今の時代にこの音楽を聴くと、交響曲第1番で輝きを見せた同じ作曲家なのか、という印象はぬぐい去れない。のちの批判後のショスタコーヴィチは二面性を持っていると言われるが、もうすでに若くしてそのような表裏を使い分けていたようである。

 歌詞の内容は、苦しい生活を余儀なくされ抑圧もされていたが、レーニンのおかげで変えることができたというようなもの。
 魅惑的な旋律もあるのだが、牛肉の入っていないカレーのような味わいで音楽が進む。
 最初のサイレンが鳴って、合唱が加わる。
 サイレンはファ♯に指定されており、全部で3回鳴る。72953ac8.jpg 最初はffで(掲載楽譜。このスコアは全音楽譜出版社のもの)、2回目はfで、3回目はppからffへのクレッシェンドでである。
 サイレンを用いることは宣伝部の人からの忠告に従ったとショスタコーヴィチは手紙に書いている。
 《あなたの着想がこの上なく、私の気に入ってます。そして今、私はサイレンの音域がどんなものか、先頃特別に工場に出掛けてみました。サイレンの響きは、極めて低いものでした。私にとってサイレンは、ファ♯であってほしかった。そしてpppからfffまでクレッシェンド出来ることが、絶対の条件でした…》

 なお、作曲者はサイレンが用意できない場合は、その部分をホルン、トロンボーン、テューバで吹くように指示している。

 このサイレンは労働者が働く工場のサイレンなわけだが、私には空襲のサイレンのように聞こえる(リアル体験はもちろんないけど)。不吉なことが起こるようで、この曲ででもドキッとしてしまう。

 合唱も、賛歌というには脱力感が漂うものである。このあたりは、ショスタコーヴィチの作戦、真面目に書いてられっかよ、という抵抗かも知れない。
 そういう観点からみると、この曲はあまり真剣真剣した、05baaa04.jpg 熱血な演奏でない方が面白いのかも知れない。
 私は、年に数回しか聴かないが、聴くときはアシュケナージ指揮ロイヤル・フィルのCDを選んでいる。確信犯ではないのだろうが、けっこうインポテンツ気味のフニャらけた演奏である(カップリング収録されている「森の歌」が、これまた空虚な演奏である)。でも、確信犯じゃないのに、こんな演奏なら問題か……

 寺原伸夫は全音スコアの解説で、「ショスタコーヴィチの第2交響曲は、不十分さを持ちながらも、この時代のソヴィエト芸術の主要な方向を指し示していたと言える」と結んでいるが、そーかも知れないけど、一音楽愛好家にすぎない、そしてショスタコ・ファンでもある私としては「主要な方向を指し示していた」のかどうかはともかく、かなりビミョーな曲ではある。