朝、彼女がTVのニュース、紅葉についての映像を観て言った。
 「まあ、きれい。ねぇ、きれいだと思わない?」
 「別に。私は紅葉が嫌いなんだ」
 「なんで?きれいじゃない」
 「紅葉を見ると寂しくなる」
 「けっ!そんなこと感じることあるんだ。ガラにもない」
 「何がガラにもないだ。紅葉の原理を知らないから、そんなこと言ってられるんだ。それに私はおまえの数千倍も繊細な人間なのだ」
 「原理が何だかは知らないけど、寒くなるから紅くなるのよ。紅葉に感動する私の方が繊細だわ」
 「いいか、紅葉っていうのは、植物にとっては悲しい現象なんだ。葉の葉緑体の中、つまりだ、グラナの中にあるクロロフィルが消失することによって起こるんだ。これが悲しくないとどうして言える!」
 「クロロフィルがかわいそうだと思うなら、グリーンガムを食べるのやめたらいいじゃない」 「食ってない!私の今のブームはロッテの“翠峰”だ。それに私はひと言も『クロロフィルがかわいそう』だなんて言っていない。問題のすり替えだ!クロロホルムの中に突き落としてやるぞ」
 「水疱?まさか水疱瘡になったわけじゃないでしょうね?」
 「水疱瘡は小学校2年生のときに経験済みだ。水疱瘡で休んでいた成田君というのがいて、そいつが治って学校にでてきたときに、できものの痕を触らせてもらった。みごとにうつった」
 「ばっかじゃないの」
 「とにかくグリーンガムはもうやめた。スイホウというのはブドウだ。おまえのせいで話が横道にそれた。いい機会だから植物の生理機能について3分間だけ討論しようではないか。
  いいか、紅葉というのは低温によって葉の中のクロロフィルが分解され、かわりに糖類やアミノ酸によってアントシアンやキサントフィルなどの色素が作られるために起こる現象だ。つまりデオキシリボ核酸がゴルジ体によってどうにかなって、ミトコンドリアがアデノシン3リン酸と不思議な出会いをし、コエンザイムQ10は老化現象の防止に効果があるってなわけだ。ついにαリポ酸も余分な脂肪を燃やすらしい。どうだ、悲しいだろう?」

 私は高校の生物の授業で聞いたことのある単語を並べ立てた。その後も私は理系の生物系に進学したのだが、世の中不思議なことはあるもので、そのからくりについてはそっくり忘れている。だから、私が彼女にまくしたてているのは、当然のことながらまったくのデマカセである(つまり、最初から信じてないとは思うが、読者もよそでこの話をしたら大恥をかくはめになる)。
 しかし、私は今さら引くことはできないのだ。
 詭弁でもいい。論争の勝利者になりたい。
 言ったあとに後悔したのだが、リゾチーム、リボゾーム、原形質、アデニン、タンニン、浸透圧、ポリ・カーボネート、ミジンコといった単語も、話のなかに宝石のように散りばめれば、より説得力があったかも知れない。

 「それで……だから何だっていうわけ?なに意地になってるんだか……私は『紅葉がきれい』と言っただけなのよ?きれいなものはきれい、それでいいじゃない」
 ゴルジ体やミトコンドリアを恐れようとしない、なんと罪深い女なのだろう!
 私は全身の原形質を細胞液で満たし、続けた。
 「だいたい、紅葉がきれいだなんて、ばばくさい」
 「あら、私は若い頃から紅葉を見るのが好きだったわ。あなたこそ、枯れ枝みたいじゃない」
 「んんっ?いったい、私のどこが枯れ枝なんだ」
 「あら、考えすぎじゃないの?どことは言ってないわ。まあ、イメージね。そういえば、えっちゃんは昔カリーナEDに乗っていたわ」
 「何がEDだ。腹立たしい。私はEDなんかじゃないぞ。おまえが知らないだけだ。だいたいえっちゃんて誰だ?」
 「ふん、どーだか」
 「おまえと話していると地軸がずれていく気がする。ひとついいことを教えてやろう。紅葉の効用だ。グフグフ……」
 「よくもまあ、朝から面白くないシャレを言えるわね」
 「紅葉が鮮やかな木ほどアブラムシの寄生が少ないという研究結果がある」
 「だからなんだって言うのよ。それならあなたが育てているバラも春から真っ赤な葉ならいいのにね。ホホホ」
 「どうしてそんなふうに朽ち果てた切り株のような根性の持ち主なんだ?」
 「枯れ枝よりは存在感があるわ。何か文句ある?ねえ『売り言葉に買い言葉』って覚えておきなさい」

 私はじっとしていられなくなり、足早に台所に向かい、自分が使ったご飯茶碗と小皿を洗った。
 怒りのあまり手が震え、スポンジをうまく握れなかったくらいだ。
 朝から不毛な論議をしたあげく、よく分からないうちに敗北してしまった。
 枯れ葉になった気分になった。