D.ショスタコーヴィチの交響曲第4番ハ短調Op.43(1935-36)。
作曲から初演まで25年間(細かく言えば25年半)封印された作品である。
曲の封印とは無関係だが、私がこの曲を知ったのは1995年ころ。彼の交響曲中、最後に知った作品である。しかも最初は、確か明治乳業だったと思うが、そのCFで。印象的な音楽だと思っていたら、それが交響曲第4番の出だし部分だとあとから知ったのである。
それにしても、この曲の冒頭を食品のCFに使うとは、なかなか英断である。
この曲は1936年の革命記念日に初演することを目標にオーケストラは練習に入ったが、この年の共産党批判に応え得ないと作曲者が判断し、初演が中止された。
作曲は1935年の9月に始められ完成は翌年5月と、ショスタコーヴィチとしては珍しく長い期間がかかっているが、実際、演奏時間は60分、オーケストラは総勢134名を要する巨大な作品である。
このころショスタコーヴィチはマーラーの作品分析(第3交響曲と第7交響曲)に熱中していたと言われ、この作品にはマーラーの影響が現れている。また、この第4番は3楽章構成であるものの、デビュー作の第1交響曲(協奏曲的な性格が強いと言われる)や政治色の強い第2、第3交響曲に比べ、初の本格的な交響曲とも言える。
しかし、それにしても「分かりにくい」、言い方を変えれば「親しみにくい」作品である。
音が幾層にも複雑に重なり入り組み、つかみどころがなく、不協和で破壊的に響くからである。だが、何回か耳にしているうちに、その混沌は考え深いものであり(それがどのような意味かは分からないが)、音の魔術に引き込まれるようになる。もちろん万人が、ではないが。
ざっと見たぶんにはただの大きな地層。でも、掘ると化石や宝石が埋もれているという感じだろうか?
ところでなぜ突如初演は中止されたのか?
ここで彼を取り巻いていた当時の状況を整理してみよう。
1930年 : 歌劇「鼻」、バレエ「黄金時代」、交響曲第3番初演。
「鼻」については賛否両論があったが、否定的な評価に落ち着く。
「黄金時代」の初演は失敗。曲中の「ポルカ」は一時、大評判に。
1931年 : バレエ「ボルト」初演。失敗。
1934年 : 歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」初演。
道徳性、音楽手法が指導部に問題視される。
1935年 : バレエ「明るい小川」初演。批判対象に。
1936年1月 : プラウダ紙上に「ムツェンスク郡のマクベス夫人」の批判文が載る。
1936年2月 : 同じくプラウダ紙上に「明るい小川」の批判文が載る。
《(ソヴィエトの作曲家で)最初に打撃を受けたのはショスタコーヴィチで、その相手はスターリン自身だった。スターリンの怒りを招いたのは、1936年に、モスクワで行われた『ムツェンスク郡のマクベス夫人』の公演であった。スターリンは「堕落した」音楽を聴いて、怒りのあまり顔面士気色になり、第1幕のあと劇場から荒々しく退場した、といわれる。彼は直ちに、ソビエト・オペラが遵守すべき3つの基準を発表した。それは①題材は社会主義的テーマを持っていなければならない②音楽用語は「写実的」でなければならない。つまり、不協和音を含めてはならず、ロシア民謡に基づいていなければならない③オペラの筋は「前向き」、すなわち国家を讃えるハッピー・エンドでなければならない――という内容であった。
この指令と同時に、ショスタコーヴィチに対する攻撃が「プラウダ」紙上に発表された。これは由々しき事柄だった。公式非難を受けたソビエトの作曲家は、職を失い、作品発表や演奏の機会が閉ざされることがある。また、住居を失い、自動車やダーチャのような特権も、剥奪される可能性がある。スターリン時代なら投獄されることまであった》(*1)
ショスタコーヴィチはこう語っている。
《1936年1月28日、わたしたちは「プラウダ」を買いに駅に行った。新聞を開き、ページをめくっていると、『音楽のかわりの荒唐無稽』と題する論文が目に入った。この一日を、私は永久に記憶に刻みこんだ。これはおそらく、わたしの生涯でもっとも忘れられない一日となるにちがいない。
「プラウダ」の第3面に掲載されたこの論文は、わたしの全存在を変えてしまった。それは社説のように無署名で発表されていた。つまり、それは党の意見を表現したものだった。しかし、実際は、スターリンの意見を表明したもので、それがはるかに重要なことであった。
―(中略)―「荒唐無稽」をよく検討するために集会が組織されはじめた。誰もがわたしを避けるようになった。この論文には、こういったすべてのことは、「ひじょうに悪い結果となろう」という表現があった。それで、その悪い結果がいつやってくるかをすべての人々が待ち受けていた》(*2)
《わたしが音楽を担当したバレ ー「明るい小川」をスターリンが見にきた。―(中略)―「指導者にして教師」のバレー見物の結果はよく知られている。「プラウダ」の最初の論文から10日も経たぬうちに、つぎの論文が発表された。今度の論文は前より文法に適った文章で書かれ、きびしい内容は前より少なかった。しかし、そのためにわた しがいくらか楽になったわけでもない。
わずか10日たらずのあいだに「プラウダ」に2つの攻撃的な社説が現れたのは、一人の人間にしてみれば、じゅうぶんすぎるくらいではないか。いまや誰もが、わたしの破滅を正確に知るにいたった》(*2)
交響曲第4番はこの年の4月に初演が予定されていた。しかし、何度かリハーサルをしたあとに、ショスタコーヴィチはレニングラード・フィルの指揮台から総譜を引き上げ、発表を中止したのである。
以後25年間封印されたままになっていたが、1961年12月にコンドラシン指揮のモスクワpoによって初演された。
1~2月のプラウダ紙上における批判から初演が予定されていた4月までのあいだ、おそらくショスタコーヴィチはこの交響曲を発表すべきか否か悩んでいたのだろう。その結果が発表 中止であったが、おそらくこの曲が予定通り初演されていたら、彼のキャリアはここで完全に止まったことだろう。
第1楽章は、ショスタコーヴィチの交響曲では珍しく、鋭角的に開始される。続いて、金管による行進曲風の旋律が現れる。この主題は楽章全体を支配する。長大な楽章で、彼がそれまで書いていた交響曲の各曲に匹敵する30分近い長さである。マーラーが第1交響曲に書いたのと同じく、4度によるカッコー動機も現れる。
第2楽章では、後年、チェロ協奏曲第2番や第15交響曲に登場する打楽器による不思議なリズムが登場する(楽譜・上)。
第3楽章も長大なもの。愛らしい囁きやコミカルな旋律も現れる。終り近くになると2組のティンパニの強烈なパワーにのって、金管がコラールを吹く(楽譜・中)が、この爆発は前触れもなく意表を突くものである。このメロディーはサン=サーンスの「戴冠式行進曲」(Op.117(1902))の中間部を思い起こさせる。
曲の最後はチェレスタによって、透明感あふれる静けさに溢れ るが、それは交響曲第15番の終りと同じ性格のものである(楽譜・下)。
ここで紹介するCDはヤルヴィ指揮スコティッシュ・ナショナル管弦楽団のもの。シャンドスのCHAN8640(輸入盤)。1989年の録音。現在廃盤。
交響曲第4番をオクラ入りし、復権をかけてショスタコーヴィチは“傑作”となる交響曲第5番を発表することになる。1937年11月のことである。
その作曲中には、彼が世話になったトゥハチェフスキー元帥が死刑に処せられるという事件も起きている。
*1) H.ショーンバーグ/亀井旭,玉木裕訳「大作曲家の生涯」(共同通信社)
*2) S.ヴォルコフ/水野忠夫訳「ショスタコーヴィチの証言」(中央公論者)
※「証言」の偽書問題については、Wikipediaに詳しく述べられている。
*3) 楽譜~Belwin Mills
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