D.ショスタコーヴィチの交響曲第6番ロ短調Op.54(1939。作曲者33歳)。
この曲について書くのは、今年8月6日に次いで2回目。
1937年の第5交響曲で何とか名誉回復を果たしたショスタコーヴィチであったが、実際、第5交響曲は熱狂的に迎えられ、38年1月にはモスクワで再演もされた。また、作曲家同盟では第5交響曲についての討議が行われた。
って、こういうのって怖いよなぁ。ショスタコーヴィチが書いた曲をテーマにして、他の人間が討論するっていうのは……まるで裁判だ。ましてや、ショスタコーヴィチほどは才能のない人たちの集団だろうし……。それが「ここは形式としてなっとらん」とか「ここは形式主義のかけらが残っている」なんて話し合ったんだろう。やだやだ。
秋にはモスクワで再び演奏されたほか、ボリショイ劇場でも演奏された。
この1938年という年は、ショスタコーヴィチが室内楽のジャンルでも曲を書き始めた年でもあり、弦楽四重奏曲第1番ハ長調Op.49はこの年に作曲、初演されている。
弦楽四重奏曲は交響曲とならんでショスタコーヴィチの作品群の柱となるもので、交響曲と同じく15曲を書き残すことになる。
この時期にショスタコーヴィチは余計なことを言っている(きっと、気持の半分はぬか喜びさせるためにワザと)。
《私は交響曲を、合唱とソロ歌手が参加したオーケストラの演奏する作品にしようと思っている。私はウラジーミル・レーニンに捧げられた詩と文学作品を熱心に勉強している……》
こう言われると、レーニンだって「いやぁ、かわいいやつ。本気で気持ちを入れ替えてくれたようだ。何々?ワシの詩?それで大交響曲を書いてくれるのか。そりゃあ楽しみだ」って気持ちになるのは当然だろう。レーニンの頭にはベートーヴェンの「歓喜の歌」がリピート・モードで鳴り響いたに違いない。もし生きていれば、だけど……(レーニンは1924年没)
さらに、この第6交響曲が初演される1939年にも次のように話している。
《ずっと以前からの私の熱烈な夢は、レーニンにささげる交響曲を作曲することである……。この交響曲は合唱、独唱、そして朗読者の参加する4楽章の作品として企てている。第1楽章はレーニンの青年時代、第2楽章は10月革命の先頭にたつレーニン、第3楽章はレーニンの死、第4楽章はレーニンの道をレーニンなしで……》
う~ん、かなり構想が具体的になっている。朗読まで加わるってんだから交響曲としてはかなり異例。第4楽章の「レーニンの道をレーニンなしで」っていうのも、トゲがあるように思えるが、考えすぎか……
いずれにしろ、「レーニン交響曲」は最初は第6交響曲として構想され、次にそれが第7番に変更され、最終的には第12番が「レーニン交響曲」となった。
とはいえ、こういう流れがあったのだから、第6番がまったくレーニンと関係がないとは言い切れない可能性は高い。回りくどい言い回し、失礼!
交響曲第6番は4カ月ほどで書き上げられ、39年の10月中旬にはだいたい仕上がっていたという。
11月5日に初演されたが、当然のこととして、かなりの当惑をもって迎えられた。
だって、レーニンに捧げる4楽章構成の声楽付き交響曲がお披露目されると思っていたのに、管弦楽だけの3楽章構成の作品、それもちょっと小規模の作品だったからだ。
髭男爵だったら「おっと、事情が変わった」というに違いないやないけ~。
第5交響曲で4楽章の“正統的・王道的”交響曲を書いたのに、3楽章?って感じだろう(もっとも、3楽章構成だった第4交響曲はオクラ入りになっていたので、4番へ逆戻りとは思われなかっただろうが)。
「レーニン交響曲」を書いていると言っていた、あの作曲者の言葉はウソだったのか?と思われても仕方がない(同じようなことが第9番でも起こっている。相手はスターリンだが)。
ただ、勝手に第6交響曲を彼の言葉どおりに照らし合わせていくと、面白くはある。
つまり、重苦しく陰鬱でさびしげで不気味な第1楽章は「レーニンの青年時代」なのだ。おどけていて、なんとなく投げやりで「よっこいしょ」的な第2楽章は「革命の先頭にたつレーニン」ってことになる。ブンチャカ、ブンチャカと小馬鹿にしたような喜びの踊りである第3楽章は「レーニンの死」だ。
そして、この曲には第4楽章はないが、それは「レーニンの道をレーニンなしで」なんて考えることはありえない、のではなく「レーニンの道なんて最初っから“無”なんだよ」って考えることもできる。
終楽章の軽やかさ(軽薄さと言ってもよい)は、うん、レーニンの死をパロってる。そう思えてきた。私は自説に酔う!
なお、ウクライナのリャトシンスキーなる作曲家は(以下に引用したスコアの解説では「優れた作曲家」とされているが、我知らず)、第6交響曲についてこう批評している。
《この作品は、ゆっくりとした瞑想的な第1楽章のあとに、ユーモアにみちたスケルツォ風な性格の第2、第3楽章が続くということだけから言っても、きわめて独自性をもっている。ポルカのようなダンスのリズムで交響曲のフィナーレを書く勇気をもっている作曲家は、巨匠であっても、そうざらにはいない。実際には、第3楽章はこのリズムで書かれている。するどく勇敢なリズム、新鮮な和音、そして洗練されたオーケストレーションは、このフィナーレの消しがたい美質となっている。そして、交響曲全体に見られる上昇線が、楽天性とオプティミズムで息づいている》(全音スコア「ショスタコーヴィチ/交響曲第6番」。解説:寺原伸夫)
すごい。まさにその通りだ!(って本気では思ってないけど)
この曲は形式としては、ソナタ形式である冒頭楽章を欠いた形になっている。先の勝手推論を見直せというならば、第3楽章が「レーニン交響曲」の終楽章に相当するとも言える。「レーニンの道をレーニンなしで」楽しくポルカを踊ろうぜ、ってことだ。
前回はハイティンクのCDを取り上げたので、今回は安い にもかかわらずに演奏も録音も優れていると言われているバルシャイ指揮WDR響(ケルン放送響)の演奏を紹介しておく。
第6交響曲の作曲中、つまり1939年の8月には独ソ不可侵条約が締結され、翌9月にはドイツ軍がポーランド侵攻を開始、第2次世界大戦が始まった。
ショスタコーヴィチの次の交響曲は「戦争交響曲」となる。
新館入口(2014.6.22~)
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