D.ショスタコーヴィチの交響曲第8番ハ短調Op.65(1943。作曲者37歳)。
 交響曲第7番に続き、戦争の苦しみを乗り越えて勝利へと進むソヴィエトを描いたとされているが、いやいや、いかにもソヴィエト共産党がお気に召さなそうな曲である。

 この交響曲について、ショスタコーヴィチは「標題的な要素はない。この交響曲は、私の思索と体験を反映している。第8交響曲はたくさんの内面的、悲劇的でドラマティックな葛藤をもっている。しかし、全体として楽天的で人生肯定的な作品である。第1楽章は大きなアダージョである。そのクライマックスでは極めてドラマチックな緊張を形作る。第2楽章はスケルツォの要素をもった行進曲、第3楽章は極めて活動的でダイナミックな行進曲である。第4楽章は行進曲的な要素を考慮に入れなければ、悲しげな性格をもっている。フィナーレの第5楽章は、明るく田園的な特質をもった喜びに溢れる音楽である。そこにはさまざまな種類のダンス風な要素、民族的な性格のメロディーがある」と語っている。(*1)

 ここでショスタコーヴィチは5楽章構成の交響曲を書いた。5楽章ものは初である。

 いやいや、それにしても第1楽章の出だしからして、お・も・い……。あたかも煮えたぎるカレーの鍋に指を突っ込んでしまったような悲愴感がある。

 彼はこうも言っている。
 《この第8交響曲の気分は、私の第5交響曲やピアノ五重奏曲に近いといえる。また、私の以前の仕事に含まれている何らかの思考や理念を、この第8交響曲の中で一層発展できたと思う。私の新しい作品のイデーを一言でいえば、『生きることは素晴らしい』という言葉につきる。暗黒で重苦しいものはすべて去り、美しいものが勝利する》(*1)

 『生きることは素晴らしい』……別な訳では『人生は楽し」。
 確かにショスタコーヴィチが「生」というものを大事にしていたとは感じるのだが、それにしてもしらじらしい文章だと思うのは私だけだろうか?暗黒で重苦しいものはすべて去り、なんて本気で思っているならば、もっと明るい曲を書けたはずではないか?
 プロコフィエフのようにソヴィエトから亡命せず、生涯祖国から離れようとしなかったショスタコーヴィチだが、それが祖国での人生が楽し、だったとは言えないだろう。まったく、なに考えていたんだろう、この人……

 鈴木淳史は第8番についてこう書いている。

 《この交響曲を聴いて戸惑うのは、冗談なのかマジなのか、よくわからないところだ。独ソ戦で母国が優位に立ったことにちなんで、作曲家がそのテーマに真剣に取り組んだモニュメントなのか、その事実を皮肉めいたスタイルで表わしたのか、音楽からははっきりしないのである。―(中略)―しかし、もっともショスタコーヴィチらしい交響曲といえる要素はある。ヘンタイじみたスケルツォ楽章を2つも持ち、暗くて、騒々しくて。西欧的なシンフォニーを逸脱するようなスタイルであり、そしていい具合に韜晦(とうかい)が入ってて……。その完成度はともかく》(*2)

 鈴木も書いているが、ソヴィエトが優位になっていたといba7cb1ca.jpgう時期になぜこのような音楽なのか、という点でこの交響曲は批判された。

 《第8交響曲が演奏されたとき、それは反革命的で反ソヴィエト的である、と公然と宣告された。ショスタコーヴィチは戦争の初期には楽天的な交響曲を書いていたのに、いま、悲劇的なものを書いているのはなぜか。開戦当初、われわれは退却しつつあったが、いまや攻勢に転じ、ファシストを壊滅しつつある。ショスタコーヴィチがいま悲劇的なものをかきはじめているのは、彼がファシストの味方であることを意味する、と言われた》(*3:206p)。《第7番と第8番の成功について知らせを受けるたびに、わたしは気分が悪くなった。新たな成功はとりも直さず、わたしの柩のための新しい釘となったからである》(*3:205p)。
 またショスタコーヴィチは、《第7番と第8番の交響曲はわたしの「鎮魂歌」である》(*3:201p)とも述べている。

 さて、その曲だが、第1楽章は重いアダージョで、中間部に速度の速い部分がある。うめき……。いきなりこれじゃあ、反感を買うのも分かる。この楽章は全曲の半分近くを占める長い楽章である。

 第2楽章は、第7交響曲の迫りくる敵を描いたものと同じような、どこか小馬鹿にした響きである。鈴木氏に言わせれば「ヘンタイじみている」が、それが親しみやすくておもしろい。

 第3楽章は、まるで私の行動様式のように落ち着かない(楽譜*1)。ダイナミックな37e7f6dc.jpg行進曲って言ったって、これでは行進できない。間違いなく活動的な曲だけど。整然とした行進というよりは、蜘蛛の子を散らすような雰囲気。中間に出てくるトランペットのファンファーレもどこか“戦争ごっこ”ぽいが、こういう音楽はショスタコーヴィチでなければ書けないだろうな、とも思う。

 第4楽章は第3楽章から切れ目なく入るが、パッサカリアである。これは、うん、レクイエム的。

 終楽章は田園的であり、また、やけくそ気味でもある。これまた、ショスタコーヴィチらしい音楽だが、私には「明るく田園風な特質をもった喜び溢れる音楽」には聴こえないなぁ。

 私が聴いているCDはアシュケナージが指揮したロイヤル・フィルの演奏。でも、どこかいま一つフィットしない。私とは相性が良くないようだ。ヴァルシャイ盤に切り替えるかな……

 ちなみに鈴木氏はインバル盤を推している。

 さて、次はまたまたお騒がせした作品、交響曲第9番の登場を待つことになる。



 *1) 寺原伸夫解説 「全音スコア ショスタコーヴィチ/交響曲8」 全音楽譜出版社
 *2) 鈴木淳史 「わたしの嫌いなクラシック」 洋泉社新書
 *3) S.ヴォルコフ/水野忠夫訳 「ショスタコーヴィチの証言」 中央公論社