D.ショスタコーヴィチ(1906-75)の交響曲第9番変ホ長調Op.70(1945)。
 ついにショスタコーヴィチの交響曲も「第九」である。
 交響曲において「第九」というのは、なんだかとても大きな意味を持つ。

 ベートーヴェンは第9番の交響曲で初めて声楽を導入した。
 ブルックナーは第9番を完成させずに神のもとへ行ってしまった。
 マーラーは実際の第9番目の作品を「大地の歌」という番号なしの交響曲にしたが、やはりそのあとに書いた第9番が完成した最後の交響曲となった。
 ドヴォルザークも交響曲は9曲……って、ドヴォルザークはあんまり関係なさそうだけど。

 9番という数字は交響曲作家にとって、大きな運命的存在であるのだ。
 しかも、ショスタコーヴィチの第9番は、大戦が終わりソヴィエトの「勝利の交響曲」となるはずのものだった。いったい、どのような大きな交響曲になるのだろう?
 そりゃあ、みんな期待するわなぁ。

 それにショスタコーヴィチ自身が、作曲にあたって1945年3月13日のイズベスチャ紙に以下のように述べているのだ。

 《古典となるべき作品、永遠の意義をもった作品、人類の最も重要な財産となるべき作品の創造の時がやって来た。最高の世界的な芸術は、いつも人民の戦いや勝利の成果と結びついてきた。ベートーベンの第9交響曲は1789年の事件(フランス革命)によって生まれたのではないか?第1次祖国戦争での勝利者としての民族的な誇りや感情こそが、グリンカの偉大な才能に「イワン・スサーニン」のテーマに向かわせたのではないだろうか?》(*1)

 こういう発言を目にすると、ショスタコーヴィチが戦争の勝利を描いた特別な意味をもつ交響曲を生み出すに違いないと、良識ある一般人なら誰でも思うだろう。

 ところが11月3日の初演で響き渡った第9交響曲は、演奏時間が25分ほどの、室内管弦楽的な交響曲だった。
 風俗店でかわいい女の子を選んだつもりが、来たのはおじさんみたいなおばさんだった、みたいな感じだろうか?(週刊誌情報による)

 ほぅら、お仕置きが待ってるぞぉ~。

 ショスタコーヴィチはこう述べている。

 《そこで4管編成のオーケストラと合唱と独唱による指導者への讃歌を書くことがショスタコーヴィチに要求された。ましてや、第9番の交響曲の第9という数字はスターリンにふさわしいものに思われていた。
 スターリンはいつでも、専門家やその筋の権威の話に注意深く耳を傾けていた。専門家は、自分の専門分野のことはよく知っていると主張していたので、スターリンは、自分に敬意を表して作られる交響曲が傑作になるにちがいないと考えていた。これこそ、わが祖国の第9交響曲になるにちがいない。
 白状すると、「指導者にして教師」に夢を与えたのはわたしだった。わたしは讃歌を書いていると公表していたのだ。このことについては明言を避けたいと思っているのだが、そうはゆかなかった。わたしの第9番が演奏されたとき、スターリンはひどく腹を立てた。彼は自分の最良の気分を傷つけられたのだが、それは合唱もなければ独唱もなく、讃歌もなかったからだ。しかも、自分にたいするわずかばかりの言及さえもなかった。スターリンにはよく理解できない音楽と、疑わしげな内容があるばかりだった》(*2:207p)

 この交響曲は5つの楽章からなるが、それでも全曲の演奏時間は25分もかからない。編成は2管。全体に遊びの雰囲気、そして彼特有の皮肉の味わいに溢れ、戦争勝利を賛美する曲にはまったく聴こえない。ただ、スターリンは「よく理解できなかった」かも知れないが、純音楽として聴いた場合、じつに親しみやすい音楽である。
 私にとってこの曲は、ショスタコーヴィチの作品としては第5番に次いで耳にした曲である。NHK-FMの「青少年コンサート」という番組で(どういう目的を背負った番組名なんだろう?)、福村芳一指揮の京都市響のライヴだったが、そういえば福村芳一ってずっと名前を耳にしてないな……確か真理アンヌの旦那だったと思うが。真理アンヌが誰だか、多くの人は知らないだろうし……

 この交響曲は当たり前のことのように、共産党の批判の対象になった。1948年のことである。
 この年、V.I.ムラデリ(1908-70)のオペラ「偉大な友情」に対する党上層部の不評をきっかけとして、党中央委員会が招集したソヴィエト音楽家会議において、ショスタコーヴィチやプロコフィエフをはじめとするソヴィエトの作曲家たちが文化相のジダーノフから「西欧追随の形式主義者」と断ぜられ、社会主義リアリズムへの復帰を要請されたのである。これを「第2回ソヴィエト作曲家批判事件」というが、第1回はショスタコーヴィチの「ムツェンスク郡のマクベス夫人」に対する「音楽のかわりに荒唐無稽」とバレエ「明るい小川」に対する「バレエの偽善」であった。
 第2回批判で第9交響曲(それに第8交響曲、ピアノ・ソナタ第2番)をやり玉にあげられたショスタコーヴィチは、「決議に盛られた批判の一切に対し……274d2678.jpg 私は深く感謝している……私は英雄的なソビエト人民の影像を音楽で描くため、さらに決意を固めて努力するつもりだ」(*3)と“自己批判”を発表したが、う~ん、心の中ではベロを出してるな、って感じだ。
 なお、この批判に応える作品として、彼はオラトリオ「森の歌」Op.81(1949)を作曲したのだが、この作品こそスターリン讃歌である。

 さてCDだが、以前第5番のときにも取り上げたハイティンク盤を紹介しておく。
 LONDON(もうこのレーベルはないけど)のPOCL9830。
 オーケストラはロンドン・フィル。録音は1979年。↓のとおり、再発売されている。

 ショスタコーヴィチはこうも言ってる。
 《スターリンを神格化する曲を私は書けなかった、まったくできなかったのだ。第9交響曲を書いていたとき、自分が何に向かって歩いているかを知っていた。しかし、それでもわたしは音楽で、つぎの第10交響曲のなかでスターリンを描いた》(*2)

 第10交響曲は9番から8年をあけた1953年に作曲されることになる。



 *1) 寺原伸夫解説 全音スコア「ショスタコービッチ/交響曲9」 全音楽譜出版社
 *2) S.ヴォルコフ/水野忠夫訳「ショスタコーヴィチの証言」 中央公論社
 *3) ハロルド・C・ショーンバーグ/亀井旭、玉木裕訳「大作曲家の生涯」 共同通信社