「私が育んだ石」 第1部「トロカツオ純情編」 その1

 いまから15年ほど前、9月最初の土曜日の朝のことであった。

 私は背中から腰にかけて、それまでに経験したことのないような鈍い痛み、というか、だるさを覚えた。
 二本足で歩き始め、歩くことが本人にとっては結構なレジャーとなっていた長男を私は呼んだ。なんとなく、背中をマッサージすれば効くような気がしたのだ。とはいっても、2歳児にマッサージなんてできるわけがない。あいつはまだ、缶ジュースのリングプルだって自分で開けられない未熟者なのだ。
 つまりだ。背中を踏んでもらう、もっと簡単に言えば背中の上を歩いてもらおうと思ったのだ。

 当時の彼は実に献身的であった。今の私の相手をしてくれない長男と同一人物であることがまったく信じられない。
 私の要望に対し、いやな顔ひとつせず、むしろ嬉々として私の背中の上を歩いた。

 しかし、痛みというか違和感は消失しなかった。
 変だ。

 そんなこんなしているうちに、こんどは腹が痛くなってきた。
 専門用語でいうところの腹痛である。
 その痛みはものすごい勢いで強くなっていった。
 下痢のような感じがしたのでトイレに行くが、何も出ない。いっそのこと、ドバ、ビギュゥゥゥ~と出てくれたなら痛みは和らぐと思うのだが、いっこうに出る気配がない。それにだいいち、こんなにひどい腹痛を起こすほど、昨夜の私は罪深くなかったはずだ。

 まだ8時。
 病院に行っても開いていない。せいぜい途中にあるセブン・イレブンぐらいしか、土曜の朝は活動していないのだ、そのあたりは。

 そのうち吐き気までしてきた。実際吐いた。というか、オエェェェェェ~ッとしたが、透明な汁しか出てこなかった。私の嫌いな三平汁の汁のような汁だった。
 吐き気と下痢。この同時襲来はかなりきつい。同時に出すことができないのだ。このあたり、TOTOやINAは何をもたもたしているのだろう?腹が冷えて下痢をしている二日酔いで今にも吐きそうな男にとっても、実に便利なものだと思うのだが、こういう両機能を備えた便器は研究していないのだろうか?

 時間はおそろしくゆっくり進んだが、何とか病院が開く時間になった。
 私は近所の○井内科に歩いていった。

 私はいま思う。
 なぜ歩いて行ったのだろう。あんなに痛いのになぜ歩いて行ったのだろう?
 妻はどうして、せめて物置から自転車を出して用意してくれなかったのだろう?←出してくれても、痛くてまたげないって!

 私のよくない癖のひとつなのだが、病院なる建築物にたどり着くと、それまでの病気の症状が一時的に軽減してしまうというものがある。この日もそうであった。
 別に私が申し訳なさそうな気分になる必要はないのだが、受付の看護婦さんに「今日はどうされましたか?」と聞かれ、申し訳なさそうに「いや、ちょっとばかりおなかが痛いもんで」と実に謙虚に答えたのだ。たまたまこの日は混んでいなかったが、もし混んでいたら私の診察優先順位は最下位になったに違いない。
 それにしても、なぜ病院では「今日はどうしましたか?」と決まり文句のように言うのだろう?病院に行ってそう聞かれたからといって、「別にぃ」と答える人がいるとでもいうのだろうか?「どうもしません」と開き直る老婆がいるというのだろうか?「イクラちゃんでしゅ」とタラちゃんは答えるのだろうか?
 こういうのを、風俗店の受付なんかで言うと面白いんじゃないかと思う。特に内気そうな客に対して。
 こそこそとやってきた客に、威勢のいい受付の兄ちゃんが言うのだ。
 「お客さん、今日はどうしましたか?」

 ねえねえ、なんとなく面白そうに思いません?

 そんなとき、医者の偽善的に優しい声が、選ばれた民を祝福するかのように私の名を呼んだ。

  [続く]