531c2ba9.jpg  何かの本で読んだのか、それともFMの音楽番組で解説者が無機的に言っていたのか忘れたが、「モーツァルトの『フィガロの結婚』序曲は、音楽史上で最も短い名曲です」という、むかし聞いた(あるいは目にした)言葉がいまだに記憶に残っている。
 「ほほう、そうなのか」と感心したとかそういうのではなくて、確かに名曲、そして傑作なんだろうけどいちばん短いわけなのね、という無感動な納得と、ほんとにこれが「もっとも短い名曲」なのかなぁ、という猜疑心からである。

 実際、この曲が「最も短い名曲」かどうかは分からない。
 名曲の定義も曖昧だ。名曲喫茶(死語だ)でかけられている音楽はすべて名曲である、と定義することだってできる。
 なんにせよ、だからもっと短い名曲があっても不思議ではない。
 きっと私は、むかしから、こういう決めつけられた言い方が好きじゃないんだろうと思う。
 あまのじゃくなのだ。反権威主義者なのだ。自分が権威主義者になりたいから。

 村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」には、こんな記述がある(講談社文庫。上巻82~16eba9a9.jpg 83p)。

 《窓の外には暗い色の雲が低くたれこめていた。今にも雪が降りだしそうなさむざむしい空だった。そんな空を見ていると、何をする気も起きなかった。時計の針は七時五分を指していた。僕はリモコンでTVをつけ、しばらくベッドに入ったまま朝のニュースを見ていた。アナウンサーが来るべき選挙について話していた。それを十五分ほど見てから、あきらめてベッドを出て、浴室に行って顔を洗い髭を剃った。元気を出すために「フィガロの結婚」序曲をハミングまでした。でもそのうちに、それが「魔笛」序曲であるような気がしてきた。考えれば考えるほど、その違いがわからなくなってきた。どっちがどっちだったんだろう?何をやっても上手くいきそうにない日だった。髭を剃っていて顎を切り、シャツを着ようとすると袖のボタンが取れた》

 「ねじまき鳥クロニクル」では、主人公はロッシーニの「泥棒かささぎ」序曲を聴きながらパスタを茹でていた。
 彼の小説の主人公は、自分のプライベートな時間、空間では、オペラの序曲づいている感じさえする。実際、ストーリーもその場の状況を「序曲」として、本編(事件)に発展していくのだが……

 W.A.モーツァルト(1756-91)の歌劇「フィガロの結婚」cacd7b3f.jpg K.492は1786年に初演された4幕からなる作品である。有名なオペラだけあって、名曲も数多く含まれるが、なんといっても軽快な序曲が素晴らしい。「これから楽しい舞台が始まりますよ」って感じだ。
 私はこの序曲の半ばのホルンの響きがなぜか異常に好きだ。小節数で言うと、161小節目ということになる。別にメロディーを吹いているわけじゃないんだけど、しかもpなのに、好きだ。好きだから、そこの部分のスコアを載せておいた(掲載譜は音楽之友社のもの)。
 一方、「魔笛」K.620は1791年、つまりモーツァルトの死の年に書かれた2幕のオペラ。このオペラの上演の様子は、映画「アマデウス」にもあった。また、この序曲はモーツァルトが夜中に家で酒を飲みながら作曲中、酔っ払ってしまい部屋の中を踊り歩くときにも使われていた。こちらの序曲は「フィガロの結婚」の序曲とは違って、ストーリー性があるような感じである。

 CDは以前にも紹介したと思うが(はて?何のときに?)、アーノンクール盤をあげておく。このCDはモーツァルトの歌劇序曲集であるが、アーノンクールのモーツァルトのオペラ全曲集から序曲だけを編集したものである。
 テルデックのWPCS21029。オーケストラはロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団他。
 全部でモーツァルトの13のオペラの序曲が収められている。ちょっぴり買い揃えておいていいかも、って感じのCDである。