きのうから、東京に来ている。そのきのう、札響の東京公演が新宿のオペラシティで行なわれ、私も聴きに行ってきた。
演奏については、明日以降にパソコンが使える環境になったら書きたいと思っているが、なかなかの好演だった。
さて、それはそれでよいとして、ホテルは新宿。新宿に泊まることなんてまったくなく、20年ぶりだったが、なんとも雑多な街だ。渋谷ほど混沌とはしていないけど。
今朝は新宿から山手線に乗って品川まで出たのだが、9時を過ぎているというのに、なんだこりゃ、と思うような混みよう。東京の人ってたいへんね。
とは言いつつも、私だって東京に住んでたのだけれど、ちょうど混まない区間にいたため、ラッシュにあたることはなかった。ラッキーだったと、いまになって思う。
そんなこんなで、いま羽田空港にいるけど、崎陽軒のシウマイ弁当を食べながら、シウマイ弁当にまつわる思い出に浸っている。
けど、人間って年を重ねるにしたがって、思い出っていうのはどんどん物悲しいものが増える気がする。たかがシウマイ弁当でも、胸かしめつけられるような思い出が私にはあるのだ。きっとユキ(村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」に出てくる少女なら)、「バッカみたい」って言うんだろうな。
哀しげな思い出が増えるってことは、どんどん喪失感が増しているってことなんだろう。まさに春樹的感覚だ。
そしてずっと手元に置いてあったもの、私の場合は特に書籍だが、そういうものも処分していく時期になった気がする。オークションで売ろう。本体価格なんてゼロでいい。送料分くらい賄える価格でいい。そんな気持ちになっている。受動的喪失よりも能動的喪失の方が、まだましな感じがしてならない今日この頃である。