今年の札響の東京公演が、去る11月18日に東京・新宿(初台)のオペラ・シティで行われた。
プログラムはヴォーン=ウィリアムズの「タリスの主題による幻想曲」(1910/改訂'13,'19)、ディーリアスの「楽園への道」、そしてペインが補筆完成したエルガーの交響曲第3番という、オール・イギリス物。指揮は尾高忠明。
このプログラムは11月の札響の定期演奏会とまったく同じものである(14,15日)。
オペラ・シティに入ったのは私は初めて。真四角の妙なホールだと思ったが、つまりはオペラ用の器なのだから、こういう形は当たり前なのかも知れない。1階席は傾斜が緩く(というか、かなりフラット)、客席の段差が低いため、もし運悪く自分の前の席に日本髪を結った女性に座られたりしたら、ステージが全然見ることができなくなるだろう。私は2階席中央に座ったが、こちらの段差はほぼ理想的だった。
さて、このホール、どんな音がするのだろうとかなり非好意的に思ったが、1曲目がはじまってみると、なかなか豊かな響きだと感心してしまった。
「タリスの主題による幻想曲」は、チューダー朝時代の作曲家タリスの主題をもとに書かれた弦楽による作品だが(弦楽群は2群に分かれる)、札響は豊かな低音の響きの上に透明な高音が紡ぎだされた、まさに昔の絵画を見るような演奏だった。
ディーリアスの「楽園への道」は、若い男女の悲恋の物語である歌劇「村のロメオとジュリエット」の間奏曲であるが、この日の演奏では、最初のうち、ところどころで粗い音が聞こえてきたものの、全体としては、2人が死を選ぶ(楽園へ向かう)という悲しさが表出された好演だった。
最後のエルガーは実によく鳴り切った演奏。退屈するかと思ったが、その心配は無用だった。
H.ショーンバーグが指摘しているように、エルガーという作曲家も大音響に喜びを感じるタイプだったが、この第3交響曲もそう。ということは、ペインがいかに研究を重ねてエルガーの作品となるように補筆していったか、という偉大なる成果だという証拠だ。全般を通していかにもエルガー的な響き。私はC.デイヴィス盤でこの曲を予習していたが、札響の演奏の方がはるかにパワフルで情緒的だった。尾高/札響のCDは「買い」かも知れない(私は買う気になっている)。参考までに記しておくと、このCDは英シグナムレコード・レーヴェルで、SIGCD118 である。
さて、ここではもう一つ、ディーリアスの「楽園への道」のCDを1枚紹介しておく。
マッケラスの指揮、ウェールズ国立歌劇場管弦楽団。2枚組でディーリアスの管弦楽作品の主要なものから珍しいものまでが収録されている。
ディーリアスの音楽は、そのうち日本ではブレイクしそうだと思うのだが……(私がそう思うようになって20年以上経ってるけど)。