清水良典の「
MURAKAMI 龍と春樹の時代」(幻冬舎新書。2008年9月30日刊)を読んでみた。
清水良典氏は文芸評論家で、私にとってこの人の本を読むのは「村上春樹はくせになる」(朝日新書)に次いで2冊目。
この本を本屋で見るたびに「買おうかな、やめようかな」と思ってきた。
というのは、まさに本書の「はじめに」に著者が書いてあることが、私の心にもあったからだ。
《それぞれに固有の多くのファンを持つ大作家である。どちらも好きという読者はそれほど多くないかもしれない。じっさい私の周囲では、龍のファンは春樹が苦手で、春樹のファンは龍が嫌いだったりする例が少なくないのだ》
そうなのだ。私は村上春樹は好きだが、村上龍は好きではない。いや、村上龍の著書は読んだことがない。「読まず嫌い」なのだ。
「限りなく透明に近いブルー」というタイトルは知っていても、その中身は「自分とは無縁の世界」を描いたもので、読んでも面白くないと決めつけてきたのである。黒人たちの乱交パーティーやドラッグに溺れる人たちの話が、私を惹きつけるわけがないのだ。
だから、本書の半分が村上龍に割かれてるなら、はたして買う価値があるのだろうかと躊躇していたわけだ。
しかし、出張の時に飛行機内で読んでみようと買ってみた。
それは、前に読んだ著者の「村上春樹はくせになる」が面白かったというせいもあった。
村上龍のことはさておき、村上春樹の文体について本書で書かれている、以下の部分がひじょうに印象的だった。
《いわば彼ら(嵐山光三郎や椎名誠のこと)は、物書きでありながら「文学」という重苦しい観念を、うっとしい外套のように脱ぎ捨てていたのである。『村上朝日堂』のエッセイも、「文学」的であることを故意に避けている。村上春樹の中の、デビューしたての意気軒昂な「文学」者の部分、英米文学翻訳者としてのインテリの部分を切り捨てて、なんとなくギョーカイのうさんくさい自由人「村上さん」に扮することで、このくだけた話し言葉は成立している。
村上春樹という全体から、明るい部分だけを取り出して、気さくに読者に向かってしゃべっているようなスタイルである。
80年代には、「明るい」「暗い」の二分法が大きな威力を持った。明るい(軽い)ことが好ましくて、暗い(重い)ことは疎んじられた。根が暗いという意味の「ネクラ」という表現が差別語のように跋扈し、そのレッテルを苦にして自殺する若者さえいた。
デビュー作以来、死や孤独と向き合った、誰が読んでも「暗い」作風の村上春樹は、対照的な「明るい」スタイルをエッセイで発揮することによって、この80年代とのバランスをとることができたといえる。それは彼が83年からマラソンに精力的に参加するようになったことと時期を同じくしている。作家として「暗い」テーマを追求する「村上春樹」と、エッセイで「明るい」スタイルで語る「村上さん」、現代人の病的な闇の部分を探究する文学者と、健康的な生活を送るアメリカンな「僕」、その両軸を彼は自分のパブリック・イメージとして持つことに成功した。彼の長持ちの秘訣は、そこにあるといってもいいかもしれない》(106~107p)
なるほどぉ。納得。
「どれが本当の『村上春樹』なのか?」なんて考えることは、所詮ナンセンスだったわけだ。どれも村上春樹なのだ。当然と言えば、当然だけど。
考えてみれば、自分だってブログの内容によって書き方は自然と使い分けているもんなぁ(村上春樹と比較するこの大胆さ!)
そういえば、「ダンス・ダンス・ダンス」に登場する刑事の一人は、「僕」によって「文学」とあだ名が付けられていた……
ところで、村上龍であるが、本書を読むと、春樹と龍の作品というのが、内容の時代性という点からは驚くほどパラレルに発表されているのが分かる。
春樹の「ねじまき鳥クロニクル」に対する龍の「
五分後の世界」、龍の「
希望の国のエクソダス」に対する春樹の「
海辺のカフカ」といった解読を読むと、村上龍の作品も読んでみたくなってきた。
とても面白い本書であるが、今回も春樹が作品中で取り上げている音楽作品については触れられていない。登場する音楽は、実際はあまり意味はないのだろうか?
新館入口(2014.6.22~)
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© 2007 「読後充実度 84ppm のお話」
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