D.ショスタコーヴィチの交響曲第15番イ長調Op.141(1971)の第1楽章後半(展開部以降)について。
まずはエラート盤(WPCS5539)の森泰彦氏の解説から。
《サーカスのような小太鼓のロール、そして前述のマーラー的 なファンファーレによって展開部がはじまる。しかし何が展開されるべきなのか。猿回しのような太鼓に乗って(ペトルーシュカばりに?)シロフォンやピッコロが何か意味のあることを発言しようとするが、何ももっともらしいことを言えず、ファンファーレが再びそれを遮る。楽器どもはやむをえずラッパ議長の言葉をオウムがえしに語ったり、また基本動機を展開しようとしたりする。混乱のうちに大太鼓の大砲が炸裂し、第2主題も登場、弦がクラスター風の興奮を示す。しかしこれもファンファーレと3回目の「ウィリアム・テル」で断ち切られ、今度はソロ・ヴァイオリンが2つの主題を組み合わせてまともなことを言おうとする。しかしそうしているうちにショスタコーヴィチの初期のスタイルで非合理的なポリフォニーがはじまってしまう。第1ヴァイオリンが8分音符、第2ヴァイオリンとヴィオラが4分音符の3連符、低弦が4分音符の5連符といった具合で(しばしばb-a-c-hという進行が出てくるのはなぜだろう)。これをもまたファンファーレが断ち切ると、音楽はなぜか突然高揚し、そして奈落の底に沈む。不思議な低弦、第2主題と組み合わさ
ったファンファーレ、コントラバスとヴァイオリンの2人による不思議なセッション。そうこうしているうちに、4回目の「ウィリアム・テル」をはさんで、11~25小節あたりまでの音楽がかなり忠実に帰ってきて、すぐに第2主題に戻る。しかしこれが展開部の音楽で中断されると鞭が鳴り、基本動機が巨大な権力者のようにトロンボーンとチューバでパレードする。
これでやっと419小節まで辿りついたわけだが、そこからあとは以前の音楽がよく切られたトランプのように順序を変えて整然とした混乱のうちに再現するのが大部分。以上で大まかな地図は書いたつもりなので、あとは各自探検されたい》
森氏の解説を読むと、この音楽(第1楽章)がモザイク様に不思議に進んでいくことが感じとれると思う。けど、「あとは各自探検されたい」なんて、「せっかくその気にさせといて、あとは放っておくね、いけない人」って感じである。
文中に「前述のマーラー的な」とあるのは、森氏がその前で《 マーラーの影響は特に第1楽章に強く、マーラーの「交響曲第4番」のような子供の世界であること、玩具のようなラッパのファンファーレが次第に牙を剥くことなどは、ほとんど引用にさえ近い》と書いていることを指している。
展開部は145小節目、練習番号15からである(譜例5。スコアは全音楽譜出版社刊)。小太鼓のロールに導かれてトランペットがファンファーレを吹く。そのあと(譜例5の続き)には「シロフォンやピッコロが何か意味のあることを発言しようとする」が、「何ももっともらしいことを言えない」まま終わる。
「大太鼓の大砲が炸裂し」とあるが、余談だがこの 大太鼓、ザンデルリンク/クリーヴランド管のCD(エラートWPCS5539)では惚れ惚れするほどの生々しい音で収録されている。
「非合理的なポリフォニー」は譜例6に示した255小節目からはじまる。そういえば、ショスタコーヴィチは第2交響曲で「ウルトラ・ポリフォニー」なるものを書いた前科(?)がある。
森氏は「しばしばb-a-c-hという進行が出てくるのはなぜだろう」なんてシロウトのようなしらばっくれたことを言っているが(だいたいシロウトは音名をb,a,c,hなんて呼ばないものだ)、作曲者の意図はわからないまでも、明らかに計算ずくでバッハの名前をこの“ポリフォニー”場面に潜り込ませている。
ショスタコーヴィチは自伝のなかでバッハについて 、「このドイツの作曲家の音楽の何が我々をこれ程ひきつけるのか。それは、何よりもまず彼が民俗芸術の無尽蔵の泉からその霊感を引き出しているからである。彼の器楽曲、声楽曲は常に、ドイツ民謡との深い結びつきが感じられる。ヨハン・セバスティアン・バッハはポリフォニーの偉大な巨匠であり、彼の作品は旋律的豊かさ、ポリフォニーの手法の完全さによって特に優れている」と書いている(出典:「ショスタコーヴィチ大研究 春秋社)。
とすれば、ショスタコーヴィチが自ら書いた“ポリフォニー”の中に、バッハの名前を入れて讃えたことは十分に考えられることだ。
さて、この12音的な「非合理的ポリフォニー」を聴くと、ひじょうに落ち着かない不安定な気分になる。「ねっ、イライラするでしょ?」というショスタコーヴィチの狙いどおりなのかもしれない。私はこのポリフォニー部分が、ショスタコーヴィチの人生を脅かした「密告者たちの囁き」を描いているように思えてならない。R.シュトラウスが交響詩「英雄の生涯」で「英雄の敵」を描いたように。
ここでの「非合理的ポリフォニー」は弦楽によって展開され るが、曲が高揚したり沈んだりして進行していったあとの439小節目からは、今度は木管楽器によってこのポリフォニーが展開される(譜例7)。
そのあと譜例8にあるように、クラリネットによって最後となる「ウィリアム・テル」の引用が行われ、提示部の終りのときと同じように冒頭動機が3度、音を上げながら繰り返されこの楽章は終わる。このときにはカンパネッリを伴う。つまり、鐘の音が3回聴こえるわけだ。
午前2時に始まったこの不思議な物語の世界は、午前3時に突然幕を下ろすということか?
ザンデルリンクがベルリン交響楽団を振ったCD(ドイツ・シャルプラッテンTKCC15036)の解説(東条碩夫氏による)によると、ザンデルリンクはこの第1楽章について「こんなにも踊るような音楽だが、これは誰かに操られ、表面上いかにも楽しそうにしているマリオネットだという気はしないだろうか」と考えていたという。
踊るような音楽と言えるかどうか、私にはちょっと抵抗もあるが、この文を読むと森氏が「ペトルーシュカ」を持ち出していることにも意味があるように思えてくる。
新館入口(2014.6.22~)
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