「私が育んだ石」 第3部「醤油ラーメン舌鼓編」 その1


 「おやっ?第3部は『クリスマス前の奇跡編』だと予告してたんじゃなかったぁ?」と考えた人がいたとしたら、そういう人間は小さい小さい。そんなことを小姑のようにねちねちというようなら、この情報化社会は生きていけないし(情報は絶えず変化するのだ)、3日以上前のことを覚えているなんて執念深すぎる。忘れなさい。

 第3部は「醤油ラーメン舌鼓」編である。結末を言うならば、私は醤油ラーメンに舌鼓をポンッ!と打つわけだ。
 某局のアナウンサーが以前ニュースで「会場を訪れた人たちは、巨大な鍋で作られた豚汁に、みなシタヅツミを打ってました」と、平気な顔してしゃべっていたが、このバカ者!なにがヅツミだ。
 とにかく、著者が「醤油ラーメン舌鼓」が第3部のタイトルとしてふさわしいと決めたのだ。文句言われる筋合いはないもんね。

 本題に入ろう。
 12月初めの土曜日の朝。私は目覚めると腹部に違和感を感じた。
 違和感といっても、「おなかの中で赤ちゃんが蹴ってるわ、ふふふ」とかいう違和感ではない。端的に言うならば、痛みの芽みたいなものだ。
 妻はときどき、腹部の鈍痛を「おなかがニヤニヤする」と表現するが、それはこんな感じなのだろう。それにしても「おなかがニヤニヤする」って、広く世間一般に認められている表現なのだろうか?それに、ニヤニヤすることはあっても、おなかがデレデレしたり、おなかがウハウハするといった表現は聞いたことがない。「おなかがニヤニヤする」というのは、ちょっぴりうさんくさい表現ではある。病院で「センセッ、おなかがニヤニヤするんです」って言ったら、「何かいいことあったんですか?」と返されそうだ。

 そのニヤニヤは時間とともに強くなってきた。
 これは結石では?
 さすがにこれだけ石にいじめられてきたのだ。私のみならず、ロバだって、自己診断がつくようになるだろう。

 私がとった行動は、まずは座薬をいれることであった。もちろん肛門に。
 自分で肛門に座薬を入れる時って、なんかすっごく罪深いことをしているような気になってしまう。教会が近くにあったら、落ち着いたら懺悔に行かなきゃって気持ちになる。

 「うぅぅっ……」と声にならない官能の溜息を吐き、座薬挿入完了。再び横になる。

 座薬を挿入した後の宿命的な副作用は、便がしたくなることだ。
 でも、我慢である。ここで出してしまったら、融けかけた座薬(それはもうあの挑戦的な形状を保っていない)が流れ出てしまう。すべてが直腸から吸収されるまで我慢しなければならない。私は「少なくとも45分は我慢しよう」と心に決める。

 このように、座薬を挿入するということは、してはいけないことをしてしまったという罪悪感、便意をこらえるという人並み外れた忍耐力、我慢することでやがて痛みから救われるというマゾ的な新たな時代に期待する幸福感がいっぺんに経験できるという、いわば人生の縮図のようなものである。
 今後は新社会人になろうという大学生には、社会生活の模擬体験の意味からも、座薬挿入を自主的に行うことが望まれる。
 なお、挿入時に他人の手を借りた場合には、これに羞恥心も加わり、より自分の惨めさを強調できる。

 カチカチカチ(時計の音)……
 ぶふぁぁぁぁ~、だめだぁ。
 とうことで、私は36分でトイレに駆け込んでしまった。まだまだ修行が足りない。
 36分しか我慢できなかったという悔しさはあるが、出せるということは至福の時でもある。ハンバーガー屋のシェイクの最後の一口をストローで吸うときのように、ズズズズボボボッって音がした。つまり、空気ばっかりで中身、というか液状体物質はわずかなのだ。

 ところがである、肝心のおなかの痛みはというと、強くなってきてはいるものの、まったく弱くなんかなっていない。いや、もんどりうつほどの痛みにはまだ襲われていないので、あるいは座薬の効果はあるのかもしれない。けど、こんなもんか……

 私は病院に行くことを決意した。幸い、E泌尿器科は土曜日も診療しているのである。
 自分で運転して、自分一人で、病院に行った。車で15分ほどである。

 待合室に座っていると、徐々に痛みが強くなっていくのが分かる。分娩直前の妊婦というのはこういう感じなのだろうか?
 待合室で読んだ週刊ポストのグラビアに載っていたAV女優の石絵未季って子が丸顔でかわいいと思ったが、その後は消え去ってしまった。どーでもいい話ではあるが。

 診察室に呼ばれると、あの医者だった。
 相変わらず痛みは耐えるのみ、みたいなことを言う。こいつ、今が縄文時代と勘違いしてるんじゃないだろうか?
 CT検査を受けることとなった。
 窓のない部屋にいながら浅黒い、けど感じは悪くないあの若い女性技師は、「あら、また来たの?気の毒ねぇ」って表情で私を見た。野犬狩りで捕まえられた野良犬を見るような「かわいそうに。けど悪いのは自分のせいよ」って目が訴えていた。

 検査に入る時になって、おなかの痛みは急激に強くなった。
 「大鵬」の上で、技師の求めるポーズ、いや体勢をとるのもままならなくなった。
 短時間のうちに産道が全開になったかのようだ。
 もし彼女が石絵未季で、「ねぇ、痛みが我慢できるならここで私と楽しいことしましょう。大丈夫、X線使用中のランプを点灯させておけば誰も入って来ないから」と、私を誘惑したとしても、とても応じ切れないくらい痛いのだ。

 「痛いんですか?」
 「痛いというものを超えた概念です。太陽の中心に放り込まれたかのようです」
 すると彼女は医師を呼び、太陽の中心は暑すぎるから痛み止めを打たないと検査を続けられない、と報告した。
 なんてやさしいのだろう。こういうとき、人間は恋に落ちてしまうのだ。
 もし恋に落ちてしまったら、たった1本の痛み止め注射のために、何百本も針を刺されるような苦痛な生活を強いられるようになるかも知れないのだ。

 医者がやってきて、「んっ?どうしたの?」なんて聞く。
 実に底意地の悪い男だ。きっと尿管結石の痛みなんて、理論上でしか知らないに違いない。
 「しかたない。注射を打つか」
 そういって、やっと肩に注射を打ってくれた。けど、ここまで痛み止めを打とうとしないのは、何か彼なりの考えやこだわりがあるのかもしれない(例えば、注射を打つのが不得意、とか)。

 15分ほど休ませてもらい、痛みが治まってきたところで検査開始。
 検査の結果、今回ははっきりと右側の腎臓と膀胱の間の尿管に石らしき影が写っていた。
 どうやらこの石、前回からそのあたりに引っ掛かっていて、今朝なにかの衝撃で向きを変えて尿をせき止めたようだ。いったい、実際にはどのくらいの大きさなのだろう。石が出てしまったら体重が少し減るくらいのものなのだろうか?

 医者は「まだ残っていたということは、時間もだいぶ経っていますし腎臓の機能にも影響を与えかねないですね。手術で取っちゃいましょう」という。「取っちゃいましょう」って、駄菓子屋で万引きをするようなノリだ。注射にはあれほど消極的だったのに、手術には積極的だ。やっぱりサドだ。

 手術日は毎週水曜日と決まっている。
 私は週明けの火曜日の午後に入院し、水曜日の午後に「取っちゃう」ことになった。
 開腹はしない。オチンチンの先からスコープを入れて取るそうだ。
 大学卒業間近に体験した、あのいやな思い出がよみがえる。
 しかし、もうあとには引けない。

 痛みが治まっていたので、帰りの運転にも支障はないと思ったが、痛み止めのせいなのだろう、頭がぐらぐらして、まるで酔っ払い運転のようになってしまった。
 それでも、なんとか家にたどり着いた。

 家族に週明けに手術をするといったら、心配されるどころか「ふだんの不摂生のせいだ」と非難される始末。
 心がニヤニヤと痛んだ。