D.ショスタコーヴィチの交響曲第15番イ長調Op.141(1971)の終楽章。
この交響曲は、楽章の数で言えばオーソドックスな形をとっている。すなわち、この終楽章は第4楽章である。
そしてまた、この楽章は、1925年に19歳のショスタコーヴィチが書いた交響曲第1番から紆余曲折の46年を経て、最後の交響曲楽章となったものである。
交響曲第15番が完成したとき、ショスタコーヴィチはポーランドの若手作曲家クシシトフ・メイエルに手紙を書いている。
《今年の夏、私は第15番となる交響曲を完成しました。もう私は作曲するべきではないのかもしれませんが、作曲をしないと私は生きていられないのです。
この交響曲は4つの楽章でできていますが、そこにはロッシーニ、ワーグナー、ベートーヴェンからのそのままの引用が含まれています。多くのことがマ ーラーの直接の影響下にあります》
ロッシーニの引用は誰にでも分かりやすく、第1楽章で「ウィリアム・テル」が顔を出した。
では、ワーグナーとベートーヴェンは?
森泰彦氏はこう解説する(エラートWPCS5539の解説文)。
《ヴァーグナーの引用は、「ニーベルングの指輪」から。「ヴァルキューレ」でブリュンヒルデがジークムントに死を告知するときに登場する、いわゆる“運命の動機”が、第4楽章冒頭で、間にティンパニのソロをはさんで、「神々の黄昏」の“ジークフリートの葬送行進曲”の導入部に酷似して鳴り響く。またこの終楽章の主部を開始する第1 主題は、最初の3音が「トリスタンとイゾルデ」の冒頭と一致する(実は1オクターヴ高く、原曲のクレッシェンドがなくなっている)。オペラの終結部ではなく、元来は前奏曲のほうが“愛の死”と呼ばれていたことを知らずとも、これまた避け難く、かつ間近に迫った死と関連していることは疑いをいれない。
ベートーヴェンの引用については必ずしも一筋縄でいかない。研究者たちは第2楽章から第4楽章にいたるさまざまな箇所にベートーヴェンの最後の弦楽四重奏曲におけるモットー“Muss es sein? Es muss sein!”をあてはめようとしてきたが、いずれの場合でも、上記のロッシーニやヴァーグナーほど字義どおりではないから、手紙の文脈にぴったりとは合わない。もちろん第4 楽章の冒頭のヴァーグナーの動機をそれ自体ベートーヴェンの“Muss es sein?”や「告別ソナタ」第2楽章の引用ととればそれで済む可能性もないわけではないが》(原文では下線部分はエスツェットで表記されている)
ベートーヴェンの引用に関しては今もって研究者を悩ませているが、さらにこのほかに、ショスタコーヴィチ自身の音楽の引用もある。たとえば、第3楽章でも出てきた打楽器のリズムもその1つである。
なお、一応ここで触れておくと、ワーグナーの「ニーベルングの指輪」(リングと呼ばれる)は前夜劇と3日間の劇からなる4部作で、前夜劇が「ラインの黄金」、第1日目が「ワルキューレ」、第2日目が「ジークフリート」、第3日目が「神々の黄昏」である。
また、ベートーヴェンの最後の弦楽四重奏曲である第16番(ヘ長調Op.135。1826作曲)の第4楽章は「ようやく定まった決断」と題されており、「いかにあるべきか」「かくあるべし」と明記された2つの動機を用いて作られている。
さて、同じく森泰彦氏が第4楽章について書いてある部分を 見てみよう。
《終楽章が最大の謎。前述のように「リング」ではじまり、「トリスタン」を経てグリンカの音調に移って主部にはいる。メロディーにはたえず“運命の動機”がまぎれこみ、音の少ない伴奏とともに、辞世の歌のように響く。ラフマニノフの「交響的舞曲」からとられたような金管のマーチをはさんで第2主題部。オーボエの寂しい独白をヴァイオリンが引き継ぎヴァイオリンがひきつぎ、不思議な(何回この形容詞を使うのか!)8分の6拍子がはさまれる。やがてすべてはe音に吸収され(ご丁寧にもイ短調の属音)、この音を伴奏に、展開部がわりのパッサカーリアがはじまる》
ここでいったん氏の解説を切って、ここまでの、つまりパッサカリアがはじまるまでを詳しく見てみることにする。
第4楽章はアダージョ、4分の4拍子。
譜例18のように、ワーグナーの「ワルキューレ」(「 ニーベルングの指輪」の第2部)の“運命の動機”の引用で始まる(スコアは全音楽譜出版社のもの。以下同様)。それに続くティンパニのリズムは、同じくワーグナーの「神々の黄昏」(同第4部)の“ジークフリートの葬送行進曲”のリズム・パターンである。
“運命の動機”はこの楽章中全部で8回出てくるが、6回は前半部分に集中している。また、“ジークフリートの葬送行進曲”のリズム・パターンは、最初の2回の“運命の動機”に続いて刻まれる。
14小節目から第1ヴァイオリンによって主要主題(第1主題)がpで弾かれる(譜例19の矢印箇所)。この最初の3音が、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の冒頭を暗示していると言われているものである。第1楽章のブログのときに書いたが、これは “トリスタン動機”と同じ進行で始まっているグリンカの歌曲「故なく私を誘うな」にも酷似しているのである。さらに、この交響曲の冒頭の第1楽章の第1主題も、これとルーツを同じにしている。第1楽章の第1主題を頭に浮かべながら、この終楽章の主要主題を聴くと、両者が実に近いものである(というより、同じ根からなる)ことに気づく。
譜例19の続きの矢印をつけた箇所は、主要主題のなかに“運命の動機”が紛れ込まされているところである。
64小節目からオーボエが吹く旋律が副主題(第2主題)である。胸を締めつけるような寂しさに満ちたものであるが、森氏が書いているそのあとの「不思議な8分の6拍子」(譜例21)の経過句について、作曲家の諸井誠氏は「ここにも“運命の動機”からの循環が聴かれる」と書いている。確かに、矢印で示した3つの音が“運命の動機”を形づくっている。
そのあとに「やがてすべてはe音に吸収され」という部分になり(譜例22)、第1部が終わる。
続いて、ポリフォニックで深遠な世界である第2部の「パッサカリア」に入る(以下続く)。
今日はムラヴィンスキーがレニングラード・フィルを振った、1976年のライヴ盤をご紹介。
速めのテンポであまり考え込まないようなドライな演奏。悪くはないが、この曲にはちょっと合っていないような気もする。ショスタコーヴィチと心中したくない人向けの健康優良児的演奏。メロディアの74321 25192 2(輸入盤)。国内盤でとしてはビクターのメロディア・レーベルでBVCX4032として出ていたが、現在は廃盤のよう。
新館入口(2014.6.22~)
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