昨日の元日。
今年初めて私が聴いた曲は、カリンニコフの交響曲第2番イ長調(1895-97)であった。
なぜ?と言われても、全然理由はない。
なんとなく聴きたかったのだ。
年末に浅田真央選手たちがロシアの曲を使っていたことに感化されたのかもしれない。
あるいは、(これもフィギュアの影響だが)ロシア民謡と「うたごえ運動」の関連を調べていたせいかもしれない(そのうち書きます)。 耳にした演奏は、スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立響のもの(1968年録音。このジャケット、けっこう怖い。この浮き上がってくるような顔がカリンニコフその人なのだろう。そりゃ、別人を載せるってことはないわなぁ)。このCDについては昨年10月7日投稿のブログに書いてある。
カリンニコフに関する資料というものを私は持っていない。
1866年に生まれ1901年に結核ために早世したこの作曲家には、わずかな作品しか残されていない。そのせいもあるのだろう。彼に関する著作物を私は見たことがない。
ロシア五人組の一人、R-コルサコフは1844年生まれの1908年没。一方、西欧派(あるいは折衷派)のチャイコフスキーは
1840年生まれの 1893年没である。つまりカリンニコフは彼らの後継世代ということになるが、その音楽はロシア五人組よりは西欧的で、チャイコフスキーよりは民俗音楽的である。
1歳年上の1865年にA.グラズノフが生まれているが(1936年没)、グラズノフはR-コルサコフに指導を受け、ロシア国民楽派とチャイコフスキーの次世代として、この2つの流れの要素を統一し、ロシア・アカデミズムという正統派の音楽を確立した。
ところで、カリンニコフの交響曲(第1番ト短調(1894-95)とこの第2番)を有名にしたのは、テオドレ・クチャル指揮ウクライナ国立響の演奏によるナクソス盤だったと言われる。少なくともナクソス・レーベルのなかでは1、2を争う売れ筋上位であったという。このCDの録音は1994年だから、今から13~14年前に、この地味ながらも歓迎すべき(だって良いものは皆で分かち合いたいじゃない)ブームが起きたことになる。
そのCDの帯には次のようなコピーが書かれている。
・ その早過ぎた死がロシア音楽界に深刻な影響を与えたカリンニコフ
・ 残された数少ない作品の中でも抜群の光彩を放つ2つの交響曲
・ ロシア的哀愁とみずみずしい情緒が香り立つ感動的傑作・第1番
・ より根太い民俗的情感が全編を流れるスケールの大きな第2番
うん。その通り!
モスクワ音楽院に学び、その才能を高く評価された というが、「早過ぎた死がロシア音楽界に深刻な影響を与えた」かどうか、私にはよくわからない。たとえば「ショスタコーヴィチの証言」には、(それが偽書であるにしても)1度も彼の名前が語られることはない。ただ、早死にしなければ、グラズノフのような、あるいはグラズノフ以上の功績を残したかもしれないし、ロシアにおける音楽の方向性も違ったものになったかもしれない。
第1番についてはまた別な機会に書きたいと思うが、私は第2番の方がより好きである。ここに書かれているようにスケール感が違う。
第1楽章の雄大な情景のような音楽。美しいフルートのさえずり。
第2楽章では素朴な旋律が聴き手を慰撫してくれる。
第3楽章は子犬が雪の中を飛び跳ねる光景を連想させるような踊り。そして中間部のやさしい調べ。
第4楽章では、それまで登場したいろいろな旋律が絡み合い一体となって堂々たる輝きを放つ。
全曲どこをとっても金太郎飴もマッサオの魅力連続練り込み技。メロディーの宝庫。しかもその宝が悶絶絡み合い、っち ゅうんだから、そこのオジサン知らなきゃ損そん!
たとえば、第1楽章は楽譜・上(掲載譜はmphのスコア)のように開始されるが、これが第4楽章の終わり近くでは楽譜・下のように現れ、それに応える金管のファンファーレはより堂々とし、喜びに満ちたものになっている。このように、終楽章では、それまでのさまざまなメロディーが競い合うように形を変えながら自己主張をする。こういう自己主張なら、私は許す!
ところでブームの火付け役となったナクソス盤(8.553417)であるが、録音はいいし、音もきれい。ただ、ちょっと迫力というか、重量感に欠けるきらいがある。洗練度がちょっと高すぎる、とも言えようか。でも、CD棚には備えておくべき1枚。
一方、スヴェトラーノフの演奏は、もうロシアの戦車軍のような演奏。音の濁りはあるが、私はこちらの演奏に軍配を上げる。式守君、それでいいかね?こちらのCDも1番とのカップリングで、1番の録音は1975年。
このスヴェトラーノフの2番の演奏は、今から30年前にすでに廉価盤のLPでメロディアから出ていた。私もそのLPでこの曲を知ったのだった(未知なる曲にトライって感じで「つかみ」で購入)。
そのころにすでに廉価盤で出していたなんて、ビクターはなんと良心的だったのだろう(当時、メロディア・レーベルはビクターがプレスし販売していた)。
ホント、いい曲ですから!