11882b96.jpg  「サラは90歳だった」は、アルヴォ・ペルト(1935- )が1976年に書いた作品。
 素朴ながら、私はこの曲のタイトルがとても好きだ。それにひきかえ、今日のブログのタイトルは、品がなくて……すまんっ!

 ペルトはエストニアの作曲家。ソ連時代には西欧の前衛技法による作曲を試みて注目されたが、芸術上の対立によって1979年にウィーンに移ったのち、1982年からはベルリンで活躍している。「ティンティナブリ(tintinnabuli)」(鈴を鳴らすような様式)と名づけられる、単純さを追求した教会合唱曲で高い評価を得ている。

 彼の宗教曲は、まさに「現代のグレゴリオ聖歌」と呼ぶにふさわしい。そこには刺激的なものがない。ゆっくりと時間が流れる。

 ロバート・P・モーガンは、時代背景として1980年代後半の好況に関連し、このころの「新しい富や技術によって活気づけられた文化は、そうした余裕のない貧しい文化よりも、ラディカルな芸術にたいしての障害となる場合が多い」と指摘。そのためにラディカルではないP.グラスのオペラやA.ペルトの宗教音楽などが大衆に衝撃を与えたとしている。

 先ほど私は「現代のグレゴリオ聖歌」と書いたが、実際にペルトはグレゴリオ聖歌と出会って作風を転換させた。

 《ペルトの音楽は民俗的な素材、あるいは古代の素材への関心を、新しい音楽の源泉として示した例である。こうした音楽においては、モダニズムと、そして特別な効果や意味を求めて対象と距離を置いた皮肉にばかり頼っているようなポストモダニズムは、両方とも様々な形で却下される。エストニア人であるペルトは1980年代に西側に移り、定住した。1967年までの彼は、簡素で調性的な音のしぐさや、時には過去の音楽からの引用を用い始めてはいたものの、西側の前衛音楽に多くを負った様式で作曲していた。しかし、1967年にグレゴリオ聖歌と出会うと、ペルトの作品は途端に、今や彼の特徴となっている単純で神秘的な性格を発展させていくことになった。彼の円熟した様式の基本となる諸技術、とりわけペルト自身が〈ティンティナブリ〉と呼んでいる要素は、1970年代半ばに確立された。この言葉が示しているとおり、このスタイルは鐘の響きに影響を受けたもので、徐々に変化していく旋律がアルペッジョから派生した低音部とドローンによる低音で伴奏されるという特徴をもつ。カノン的な書法を用いているために、しばしばこうした要素は長く保持されることになり、豊潤だが、本質的には地味で親しみやすい美しさを音楽に与えている。いずれにしても、ペルトはバロックに由来する素材をよく使用している》(ロバート・P・モーガン/長木誠司監訳「西洋の音楽と社会11 現代Ⅱ 世界音楽の時代」:音楽之友社 204p)

 1976年に書かれた「サラは90歳だった」は1990年に改訂されている。
 3声独唱または合唱と、オルガン、打楽器のための作品で、歌詞は旧約聖書の創世記である。
 つまり、サラって誰だ?というここでいうかすかな疑問は、これで解決される。サラとは、アブラム(のちにアブラハム)の妻のことである。
 テキストに用いられているのは、創世記の中の16、17、18、21章から。
 アブラムの妻サラ(サライ)は子を産まなかったが、90歳でイサクを産んだという話が歌われる。実際には聖書には、その間、アブラムは不妊のサラに代わってハガルに子を産ませ(イシュマエルと名づけられる)、サラはアブラムの子を産んだハガルに見下げられるといったことが起こるが、この曲ではそういったストーリーは割愛され、まさか90歳の妻が懐妊・出産できるはずがないのにそれが神によって現実のものとなった奇跡的出産のことのみが歌われる。

 なお、サラは127歳で亡くなったと聖書に記されている。

 私が持っているCD(輸入盤)はECM1430(847 539-2)。1990年の録音。
 独唱はレナード(S)、カヴィー=クランプ、ポッター(T)。バゥアーズ=ブロードベントのオルガン、ファヴァルのパーカッション。
 ほかに「ミゼレーレ」(1989)と「フェスティーナ・レンテ」(1988/90)が収録されている。

 それにしても、時空の感覚があいまいになり、自分の三半器官がスリープ・モードにはいってしまったかのような、ある種異様な状態に引き込まれる。まあ、受け取り方がほんのわずかズレると、「極めて退屈」ってことになるんだけど。
 このころ、つまり1990年前後といえば、まさにグレゴリオ聖歌がブームとなり(メガネ屋の景品でグレゴリオ聖歌のCDをもらったことがある。考え方によっちゃ文化的だが……)、あるいはこれを含めて「ヒーリング・ミュージック」というものがヒットした。私は「ヒーリング・ミュージックっていったいなんじゃい?」ってタイプなのだが(マーラーの激烈楽章だって、私には“癒し”を与えてくれる)、CD業界ではクラシック誌に「お経」だのなんだのの広告まで出していた。なんか変なの……
 世の中病んでいたのね。
 けど、こんなドヨーンとした曲ばかり聴いていたら、心の底まで流れの澱んだドブの底になったようになるんじゃないかな、と思う。
 ペルトの方向性は、こういった商業ベースの作り上げられたブームとは違う。
 ただ、どこまで支持されるかは、これからの歴史の証明を待つしかない(そのころ私はもういない。たぶん。長寿なアブラハムじゃないから)。