ハロルド.C.ショーンバーグが書いた名著(と私は思っている)「大作曲家の生涯」(共同通信社刊)に、イベールの名は1度も出て来ない。意図的に排除したかのように……
このことは、イベールは大作曲家ではないということ以前に、取り上げている“大作曲家”とも重要な係わりがなかったということを意味している。
そんなのイジメだぁ~
ジャック・イベール(1890-1962)は「6人組」のメンバーではなかったが、彼の作品に見られる都会的で機知に富んだスタイルは、ときには「6人組」以上に洗練されている(といっても、私は「6人組」のうち、まだ聴いたことがない作曲家もいるが)。
音楽から受ける印象は「6人組」の中でも、特にプーランクを思い起こさせるが、プーランクは感覚的であるのに対し、イベールは知的であるという人もいる。
ショーンバーグに黙殺されてはいるが、イベールだってローマ大賞をもらっている。
松本太郎氏は書いている(松本太郎氏がどういう人であるか、私は知らない)。
《かかる努力の結晶であるにもかかわらず彼の音楽の流れはのびやかで、自在で、軽妙であり、流麗であって苦心の跡をみせない。彼は苦心するが作品はさりげない美しさを持つ。『よいものは何気ないふうをしている。だから大衆が馬鹿にする』とジャン・コクトーはいう。けれどもフランスの愛好家はイベールを馬鹿にしないで彼の音楽に喜びを抱く。馬鹿にするのは日本の音楽人に多い》
この文章は「新訂 大音楽家の肖像と生涯」(音楽之友社)に書かれているものだが、この本、新訂といっても第1刷が刊行されたのは昭和37年(ということは、イベールが亡くなった年だ)。だから、当然のこととして、現在ではイベールに対する評価は変わっている(と思う)。と同時に、松本太郎氏がまだご存命であるかについては、極めて疑問が残る。それにしても「音楽人」って、なかなか使わないよなぁ、今は。
そのイベールの作品から、「アルト・サクソフォーンと11楽器のための室内小協奏曲」(1935)。室内小協奏曲の部分の原題は「コンチェルティーノ・ダ・カメラ」。いいねぇ、この語感。ガメラが関与していそうで……
編成は、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン、トランペット、2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス。これにアルト・サキソフォーンが独奏楽器として入る。この小編成は、これまた私が大好物としている彼の「ディヴェルティメント」(1930)を思い起こさせる。
この曲はサクソフォーン奏者のS.ラシェルのために書かれている。
イベールの超傑作である「フルート協奏曲」(1932-33)のフレーズも顔を出したりして、粋ながらもちょっぴり憂いのスパイスが効いた曲である。3つの楽章から成るが、全曲で10分少しのである。
私が持っているCDはサクソフォーン奏者のジョン・ハールが、ドビュッシー、イベール、ヴィラ=ロボス、グラズノフ、ベネット、ヒースの作品を吹いた協奏曲集。EMIクラシックス(国内盤)のTOCE4071だが、現在は廃盤中。
ただ、イベールの「コンチェルティーノ・ダ・カメラ」は、現在ではいくつかCDが発売されている。
日本の音楽人も進歩したという証であろうか?(って、皮肉っちゃダメだよね)
