少し過疎化が進んだ田舎町の、あまり車通りも人通りも多くない、ほっかむりをした老婆が歩いている後姿が遠い先に見えるのが唯一の人影である、そんな静かな幹線道路沿い。そこにある、もはや利用されている形跡のない歴史的な崩壊度を感じさせる傾いたトタン張りの納屋風物置。
その光沢を失った壁に、磔(はりつけ)のように釘で止められた、黒地の短冊型看板。
そこには白文字で「神は来る 聖書」と書かれている。
そんな光景を思い出させるのが、マーラー(1860-1911)の交響曲第8番変ホ長調(1906)である。
いや、曲そのものがそれを想起させるのではない。
この交響曲についてマーラーが語った、「宇宙が歌いはじめ、鳴り響く有様を想像してほしい。もはや、人間の声ではなく、惑星と太陽の回転なのである」という言葉を思うとき、私は超単純短絡的に、この不気味ながらもあちこちで見かける看板を思い起こしてしまうのである。
私はこのマーラーの言葉に、あの唐突なメッセージを放つ看板と同じような不気味さを感じてしまうのである。
それにしても、ほとんど「おビョーキ」。
宇宙が歌い始めたら、一瞬にして音圧でみんな死ぬだろうな……
この作品は俗に「千人の交響曲」と呼ばれているが、これは初演の際に1,000人の奏者を要したことによる。実際、この作品は巨大な編成をオーケストラを必要とする上、児童合唱と混声合唱が各2組、8人の独唱者を必要とする。
まっ、ゴージャス!……
曲は大きく2つの部分に分かれており、第1部「現われたまえ、創造の主、聖霊よ」は、精霊(聖霊)の降臨を歌った中世のラテン語賛歌をテキストに用いている。また、第2部のテキストはゲーテの「ファウスト第2部」の最後の場面である。ということで、「神は来る」「悔い改めよ」といった看板にある言葉の出所である聖書(新約)と、この第8交響曲は関係ない。
マーラーは第5~7番の交響曲で純器楽による作品を書いたが、ここで再び声楽を取り入れたわけだ。
先にも一部書いたが、彼は第8交響曲について、「これまでの私の作品の中で最大のもので、内容の点でも形式の点でも余りにも独特のものですから、それを言葉で表現することができないほどです。宇宙が鳴り響きはじめるのを想像してください。もはや人間の声ではなく、運行する惑星であり、太陽です」と指揮者・メンゲルベルクに書き送っている(でも、やっぱり、「宇宙が鳴り響きはじめるのを想像してください」って言われても、どう想像すればよいのやら…)。 マーラーの交響曲は、オーケストラ全体が鳴り響くとき、あまりも複雑で他の音に覆い隠されて聴こえてこない「音」がでてくることがある。
例えば、CDでは聴こえている音が、演奏会では聴こえないということがある。以前、この第8番を生で聴いたときも、そうであった(指揮者やオーケストラなどが悪いということではなく(その場合もあるが)、大編成の曲そのものに無理があるのだ)。
私はずっとショルティ/シカゴ響他の演奏でこの曲に親しんできた。だから、この演奏は目をつぶってでも聴ける(誰でもできるけど)。1971年に録音されたこの演奏、さすがデッカ、よくぞ収録したって感じの音響であるが、それでも混濁したり、大きすぎる響きを収めきれなくて音が割れかかっているところがある。 その点、インバル/フランクフルト放送響他の演奏は響きがとても美しい。
これは1986年の録音で、全体的に音を低めのレベルに録っている。つまり、ショルティなどの時代のようにアナログ・ディスクを想定しなくてもよかったため、低めに録ってもノイズに悩まされる心配がないわけだ。だから最強音になっても音が割れたりすることはない。そして、演奏そのものも現代的で、変に情に流されないのがいい。昔のマーラーの演奏解釈とは違う、ドライなアプローチである。私はインバルのマーラーは、8番に限らず好きである。
ただし、インバルのCD(というよりもDENONのCD)はレベルを低く録っているがゆえに、ラジカセみたいな装置で聴いても、あまり響かない。大きな装置で鳴らさないと、その魅力は伝わってこ ないだろう。
また、この第8交響曲は、第1部と第2部の2つのトラックにしか分けられていない。これは不親切。ただし、細かくインデックスは付けられている。つまり、インデックスの再生機能がないCDプレーヤーならちょっと不便である(私のはあるもんねぇ~。でも、インデックス機能を利用することはまずないけど)。
もう1種類私が持っているCDはクーベリック/バイエルン放送響他の演奏で、これは1970年の録音。クーベリックのマーラーもそこそこ定評があった。
やはり、録音がついていっていけてない箇所があるが、それはしょうがない。
演奏スタイルは、昔のアプローチ。ドライではなくモルツである。こういった、“歌わせる”マーラーも悪くないけど、今になって聴くとちょっと重い感じがしないではない。懐かしい感じもするけど。
とはいえ、ありえない話をすると、もし私が指揮する才能の持ち主で、この曲を振るとしたら、クーベリックのような演奏をするんじゃないかなぁ、と32万光年先にある星のかすかな輝きを夢想しながら思っちゃったりなんかするのである。
それにしても「神は来る」看板は、誰が書いてあるのだろう。
どの地で見ても、筆跡は同じような気がする。
しかも、すごく上手な字にも思えない。
クリスチャンのイメージとはほど遠い、そこいらへんのオッサン風の人が書いているのかも知れない。
「神は来る」「悔い改めよ」などのほかに、いくつヴァリエーションがあるのかも、ほんのちょっぴりだけど、気にかかる……
惑星と太陽は滞りなく正確に運行されているようだが、昨日の新千歳→福岡のANA便も強風にもかかわらず、定時運行を果たしてくれた。
福岡空港到着後、新幹線でとある街へ移動。
さびしい街である。
夕食を食べるために「飲食店街」に行ったが、街は暗く、その中では某居酒屋チェーンの店の看板だけがシリウスのように輝いていた。
でも、せっかく来たのだから札幌にもある店に入るのも芸がない。
そこで、「海鮮料理、一品料理、メニュー豊富」と書かれた、赤色矮星のような看板の地元居酒屋に入った。
全然メニューは豊富じゃなかった。
どうせ食べないから私はいいが、海鮮と言っても、メニューにある刺身は3種類だけだった。一品料理もほんの少ししかない。A5サイズの紙に書ききれている程度のバリエーションだ。結局、焼き鳥と玉子焼きぐらいを食べるにとどまった。
某居酒屋チェーンにすればよかったと思ったが、悔い改めよ、である。
新館入口(2014.6.22~)
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