昨日の朝、目覚めたときに私はふと思った。
毎日飲んでいるヨクイニンのことである。
イボに効くといわれている、ハトムギが原料のヨクイニンのことである。
ちょっぴりオツムが弱い変換ソフトなら“良く委任”となる、ヨクイニンのことである。
ふと何を思ったのかというと、イボに効くのなら(でも、私の首の老人性イボ=老人性疣贅(ゆうぜい)は、いまだにヨクイニンに負けずに居座っている)、たとえば胃のポリープとかにも効くのではないか、ということだ。
ポリープとイボが違うことぐらい私にだってわかる。そもそも字数からして違う。
けど、同じ“できもの”であることには変わりない。
つーことは、勘違いして(ポリープ側が)ヨクイニンで取れちゃう可能性もゼロとは言えないのではないか!
「じゃああんたどうしたいの?」と問われたら、私は「いえ、別に」としか答えようがないけど……
同じく昨日の朝。
ヨクイニンがポリープと戦えるかも、というすばらしい閃きのあと、私は朝刊を開いた。
しかしながら、前日にひき逃げがあったとか当て逃げがあったとかいう記事はなかった。鼻曲がりのようなフロントになったあの車は、あんなにすごい勢いで逃げていたというのに、まったく記事になるような事故ではなかったようだ。どこもかしこもミサイルのことばかりだ。TVではファイターズの3連敗について梨田監督がインタビューに答え、「打線は当たってきている」と自分の作戦が当たってないのをごまかしていたし、別な局では中村雅俊がいい年こいて泣いていた。
やれやれ……
そんな画面を眺めながら、私はブレークファストのBGMとしてテレマンの「ターフェル・ムジーク(Tafelmusik)」をかけた。ちなみに、この日のメニューは塩鮭にわかめの味噌汁、玉子焼き、レタスの葉っぱ少々だけが、唯一“ブレークファスト”の名にふさわしいかなっ、とわずかにかすっただけであった。
「ターフェル・ムジーク」(1733年出版)はG.P.テレマン(1681-1767)の代表作である。日本語に直すと「食卓の音楽」であるが、後期ロマン派あたりからクラシックを聴き始めるはめになった初心者(こういう言い方してすまないが)の方々なら、「おっ、食卓を標題音楽として仕上げたのか!」と、リヒャルト・シュトラウスの交響詩みたいなのを想像してしまうかもしれない。
でも、違うのよん。
ナイフはフルートがモティーフを担っており、それに絡むようにフォークのメロディーが弱音器をつけたトランペットによって奏される。その直後、ホルンがエスカルゴが運ばれてくることを予告する、なんて曲じゃないのよん。
だからといって、食卓テーブルそのものを描いた音楽でももちろんないのよ。
ということは、演奏者たちが宮殿の広いテーブルの上に乗っかって楽しげに楽器を弾く、っていうものである、わけでもないのよん。
いよいよ、真実に迫ると、「ターフェル・ムジーク」はバロック時代の宮廷で好んで演奏された形式の音楽を集めたものである。
テレマンの「ターフェル・ムジーク」は、第1集から第3集まであり、各々が6曲から成る。
テレマンの音楽は、バッハほど堅苦しくなく、またヘンデルほど能天気ではない。その中間といったところ。生前はJ.S.バッハをしのぐ名声を博したというが、音楽を楽しむという面からだけみれば、それも理解できる。バッハは偉大で作品もすばらしいが、ボーッと聴いてはいけないような、大なり小なり聴き手に緊張を要求する音楽だからだ。
一方、ヘンデルは少なからずボーッと聴かなきゃ退屈する面があるように思える。
なお、ヘンデルはテレマンの「ターフェル・ムジーク」の楽譜を購入し、そのなかからいくつかの主題を自作に転用しているという(たとえば「ターフェル・ムジーク」第1集第1曲の「組曲ホ短調」の冒頭楽章の主題を、ヘンデルは「アレクサンダーの饗宴」に転用している)。 私が聴いている「ターフェル・ムジーク」の演奏は、ジャン・フランソワ・パイヤール指揮パイヤール室内管弦楽団のCDである。全曲盤ではなく、第1集から第3集のなかから各3曲、計9曲が収められた抜粋盤である。
ソリスト陣は、フルートがM.デボストとN.リンデランド、オーボエがJ.シャンボンとJ-C.ジャブレイ、ホルンがJ.マグナルディとA.ボトゥ、トランペットがB.ガベル、ヴァイオリンがG.ジャリ、C.ブリエールとB.アンジェリである。なんて、豪華!って、よく知らないけど、これだけ名前が並ぶと豪華な感じはする。フランス人のアドレス帳みたいだけど。
他の演奏で聴いたことがほとんどないのだが、私は別に他を聴こうという気にならない。テレマンの音楽はバッハのように、口内炎なのに豆腐チゲが食べたくてガマンできないみたいな、作品と対峙するって感じが私はしない。だから、聴き比べなくてもいいのだ、私には。
もちろん、それなりの演奏じゃなきゃ困るけど(……と書いているが、ここにきて急に他の演奏でも聴きたくなってきてしまった優柔不断の私)。
パイヤール(1928- )がバロックの普及に多大なる貢献を果たしたことは忘れてはならない(って私が力むことじゃないけど)。ピリオド全盛になって、パイヤールの演奏スタイルは時代遅れになったかもしれないが、こういったのびやかな演奏が懐かしくなるのは、そうよ、パイ様、きっとあなたのせいよ。
それに彼は有名どころだけじゃなく、バロック時代を中心とした知られざる作曲家の作品も積極的に録音して紹介してくれた(たとえば、ヨハン・ショーベルト!)。
CDはRCAのBVCC38227~8(2枚組)。録音は1980年。
おっとぉぉぉ~、廃盤である。
食事と音楽といえば、私にはこんな思い出が。
あるとき、取引先の方(♂)とあるホテルのレストランでランチしたときのこと。
BGMはゆったりとしたピアノ曲。
彼は言った。
「ひっどいなぁ。こんなひどいラヴェルの演奏、聴いたことがない。どう思います?」
彼は私がクラシック音楽好きなことを知っていて、そう尋ねてきた。
私は、「え、えぇ」としか答えられなかった。
だって、その曲、ラヴェルじゃなくてサティだったんだもん。
それに、サティの曲らしい、良い演奏だったんだもん。
プロフィール
MUUSAN
クラシック音楽、バラ、そして60歳代の平凡ながらもちょっぴり刺激的な日々について、「読後充実度 84ppm のお話」と「新・読後充実度 84ppm のお話」の2つのサイトで北海道江別市から発信している日記的ブログ。どの記事も内容の薄さと乏しさという点ではひそかな自信あり。
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