30fcc3e7.jpg  G.ピエルネ(1863-1937)のバレエ「シダリーズと牧羊神」(1918/1923初演。2幕3場)。
 ピエルネはフランスの作曲家、指揮者で、作曲をJ.マスネに、オルガンをC.フランクに学んだ。1891年からフランクの後継者としてパリの聖クロチルド教会のオルガニストとなったが、93年からはコロンヌ管弦楽団の指揮者を務めた。

 作曲面では印象主義的な面とロマン派的な面の両面がある。
 彼の代表作はバレエ「シダリーズと牧羊神」と言われてはいるが、実際によく聴かれるのは「鉛の兵隊の行進(Marche des petits soldats de plomb)」ぐらいである。

 この「鉛の兵隊の行進」は、「私の子供たちのためのアルバム(Album pour mes petits aims)」Op.14(1887)という6曲からなるピアノ曲の第6曲であるが、印象としてはイェッセルの「おもちゃの兵隊の観兵式」に通じるものがある曲だ。

 10曲から成るバレエ音楽「シダリーズと牧羊神」も、主要曲とされているのは「小牧神の行進(Marche des petits faunes)」ぐらいとされている。
 バレエの筋は、18世紀のヴェルサイユ宮殿近くの森に囲まれた庭園に若いニンフたちや牧神たちが暮らしている。いたずら好きの若い牧神スティラクスはある日、宮殿に招かれてやって来た舞姫シダリーズに一目ぼれする、というもの。

 このバレエには作曲者による2つの組曲がある。
 そのうちの第1組曲(1926)は、バレエの第1場と第2場の大部分の音楽を含む6曲からなるもので、マルティノンがフランス国立管弦楽団を振った魅力あるCDがある(1970年録音。エラートWPCS22078。現在廃盤)。
 音楽自体、とても親しみやすくユーモラス。しかし品の良さも兼ね備えている。全体に透明感のある響きで、清澄な音色でフルートが活躍するほか(フルートは6本も用いられている)、チェンバロも編成に加わっている。
 ストラヴィンスキーの「プルチネッラ」を思い起こさせる新古典主義的作風。
 旋法として、リディア旋法、古代ギリシャ旋法、ヒポリディア旋法などが用いられているという。

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 先ほど“主要曲”と書くために“しゅようきょく”と入力して変換したら、“腫瘍曲”と出てきた。
 そこで父のガンの話であるが、13日の月曜日にいったん退院し、自宅に帰った。
 詳しい事情はわからないが、これといった治療がない場合は、いつまでも入院させられない医療側の事情があるようだ。
 先日の医師の話では、原発の食道の腫瘍はすでにこれまでの放射線療法と抗がん剤治療によって消失しているが、腹部のリンパ節に転移し、かなり大きくなっているという。抗がん剤を投与しても、もはや体力が弱るだけで食欲も出ないので、すでに痛みを止める点滴(モルヒネ)しかしていない。つまり、あとは痛みと戦って終幕を迎えるしかないわけだ。おそらくこのあとは「緩和病棟」に入院するのだろう。

 実際今年に入ってからの痩せ方、衰え方は急激だった。
 本人は、腹部への転移のことははっきりとは知らされていない。
 薬の副作用だと思っているようだ。
 自宅に帰りたい気持ちは十分解るが、実際に帰ったら、トイレへ行くにも車椅子が通れない、室温がこまめにコントロールできないなど、さまざまな不都合が生じているようだ。
 
 末期ガンの痛みに耐えなければならない父を気の毒だとは思う。
 母も看護の疲れでイライラし、このところ妻のところへの電話が増えている。あまり顔を出さないといったような皮肉をたっぷり交えて。
 しかし、私はかつて、その自分の母親から(驚くほど気が強くわがままな女である)、何が気に障ったのか解らないが「あんたたちには世話になる気はない。夫婦二人で迷惑をかけないで死ぬ」と、暴言を浴びせられたことも忘れられないのである。
 自分の親を見てあらためて思うのは、いつまでも自分たちは若くはないということをきちんと自覚し、新しい世代の意見を謙虚に聞くこと。そして、子供たちに愛想を尽かされないような、良い年のとり方をすること、ということである。

 追記) 昨晩母に電話をしてみた。もちろん状況を聞くためである。父は寝ていて尿をお漏らししたそうである。私は「自由に動けないのだから仕方ない」と言った。すると彼女は「何、その言い方。自分が看てもいないくせによくそんな冷たい言い方ができるね!」と、いきなりブチ切れられた。
 私は、そのわけのわからない暴言が続く受話器の「切」ボタンを押した。