まったくもって、嫌な予感というのは当たるものだ。

 昨日の夕方、私の母親から妻に電話がきたという。
 内容の本質は「無事父の転院を終えた」というものだけだったが、「抗議電話」はおよそ1時間に及んだ。転院を自分だけで行なったことへの不満と自慢。しかも、「このあいだオタクに電話かけたのにずっと話し中だった」と、相も変わらず嫌味を言った。
 自分がかけたときにたまたま話し中だったということが、なぜこれほどまで責められなきゃならないのか、私にはまったく理解できない。それも20分ほどの間だけだ。そのくせ自分がかけてきたときには、人の迷惑顧みず1時間も好き勝手なことを話し続けるのだ。

 これではさすがの妻も気の毒である。
 寅女同士の、ハブとマングースも真っ青の対決、などとからかえる状況にはまったくない。
 間に挟まった丑さんの私は血だらけになってしまう。

 電話では転院前の分院にいた看護婦の悪口も言っていたという。
 どうしてこうなのだろう……
 横を向いた瞬間に相手の悪口を言うって感じだ。

 わがままとしか言いようがないのだが、とにかく自分の思い通りにならないことはすべて糾弾するのだ。たちの悪いやくざと一緒だ。たちの良いヤクザっていないかもしれないけど。

 私たちはこの恫喝女のせいで(おそらくは読者の皆さんの想像をはるかに超越している性格と非常識度なのだ)、夫婦二人してすでに胃腸の調子が悪くなっている。

3569abf1.jpg  嘆いても仕方がないけど、今日はマーラー(Gustav Mahler 1860-1911)のカンタータ「嘆きの歌(Das klagende Lied)」(第1稿1880,第2稿1892-93,第3稿1898-99)。歌詞はマーラー自身が「グリム童話集」を用いて書き上げた。

 内容は、《森で赤い花を探してきた者を王女と結婚させると言われ、兄弟が森に入った。弟がその花を探し当てたが、兄は弟を毒殺して王女と結婚する。しかし、吟遊詩人が死んだ弟の骨から作った笛を吹き、笛は悲しい物語を歌う》というもの。

 3部から成っていた第1稿は「ベートーヴェン賞」に応募した作品だが、保守的な審査員には受け入れられず、それもあってマーラーは大幅な改訂をした。第2稿以降では第1部を削除して2部作となった。

 「嘆きの歌」はマーラーの交響曲に比べると聴き応えという点では劣るものの、そこにあるのはまぎれもなく「マーラー・サウンド」である。

 私の持っているCDはシャイー指揮ベルリン放送交響楽団、デュッセルドルフ市立楽友協会合唱団の演奏のもの(独唱陣は、ダンのソプラノ、ファスベンダーのメゾ・ソプラノ、シュミットのバリトン、バウアーのバス)。1989年録音。デッカ 425 719-2(輸入盤。現在廃盤)。
 すごく良い演奏という感じはしないが、悪い演奏でもない。

 あぁ、自分の母親がこのような人間であることが情けない。