116798f7.jpg  プフィッツナー(Hans Pfitzner 1869-1949)の交響曲第2番ハ長調Op.46(1940)。

 彼の作品としては、過去に「小交響曲ト長調Op.44(Kleine Symfonie)」(1939)を取り上げたが、今回は“小”ではない“ふつう”の交響曲。といっても、曲の長さはこの交響曲も「小交響曲」もたいして変わらない。いや、むしろ「小交響曲」の方が長い。あくまでも演奏時間という面からの規模で言えば……

 作曲家であり指揮者でもあったプフィッツナーは、とにかく保守的な人物でった。ドイツ、ドイツ、ドドイツってもんで、「カンタータ『ドイツ精神について(Kantate “Von deutscher Seele”)』Op.28」(1921/1937改訂)なんて説教くさいタイトルの曲も書いている。
 なんだか、頭ガチガチの前時代的オヤジってイメージ像が浮かんでしまう。

 こういう人だったので、当然のことながら、“モダニズム”なんか大嫌い、“新即物主義”は許せない、“新古典主義”なんて悪魔の考えること、“表現主義”や“無調音楽”はキチガイ沙汰、という風に考えて攻撃対象としたという(あくまでイメージ表現)。

 彼の書いた音楽は“後期ロマン派”のものであり、19世紀末から20世紀初頭では、リヒャルト・シュトラウスと名声を分かち合った、という現在では考えられないような現象が起こっていたそうだ。
 ただ、確かにその清澄な響きはなんとなく懐かしい感じがする魅力があるし(「小交響曲」はその宝庫。過言か?)、この交響曲第2番は健康的に「ヤッホー!」って山頂で叫ぶような伸び伸びした気分と、ズシリズシリした重心の低い響き、いわゆるドイツ的サウンドがちょっぴり快感である。
 第1楽章のメロディーが終楽章で再現されるのも、曜日ごとのメニューが毎週まったく変わらない、某居酒屋の昼の日替わり定食のようで、逆に安心感を与えてくれさえする。

 ちなみに、彼が残した交響曲は3曲。番号付きが2曲(第1番嬰ハ短調Op.36aは1933年作f4d7f1ad.jpg曲で、弦楽四重奏曲第2番嬰ハ短調Op.36(1925)の編曲)、番号なしが「小交響曲」である。

 ところでこれだけ「ドイツだぁ~い好き」のプフィッツナーだったが、ナチスには入党しなかった。どうやらプフィッツナーの考える理想のドイツ国家というのは、ヒトラーが考えた国家像と異なったかららしい。そしてその結果、彼もまたナチスから作品上演の禁止などの弾圧を受けた。

 そう考えると、彼って不器用な生き方をしたのかも知れない。私と一緒ね……

 私が持っているCDは、アルベルト指揮バンベルク交響楽団による演奏(「小交響曲」のときに紹介したものと同じ)。1989-90年の録音。

 話は全然変わってしまうが、昨日の新聞に載っていた記事。裁判員制度廃止を訴えた脅迫状が最高裁などに送りつけられ、サイバンインコの首を切ったイラストも入っていたという。
 脅迫そのものはともかくとして、いやいや、せっかく忘れていた、裁判員制度のマスコットキャラクターの名前を思い出させられた。
 「サイバンインコ」だぜ!
 このセンスのない名前。強引な名前。
 こういうキャラクター名を提案する方もする方だが、採用する方もする方だ。
 これなら「サイバンインド象」だっていいじゃないか!
 そのほうが「裁判員どうぞ!」につながる。あっ、「裁判員どぞう」か……

 とにかく、私は安直なマスコトキャラを目にするたびにトホホと嫌な気分になってしまう。
 ほかにも行政なんかでは、どうしてこういうのなの?というキャラクターがたくさんある。
 キャラクター好きなのもおかしく感じるし(キャラクターを作れば国民は親しんでくれると思っている)、そして、本人たちは喜んでいる。
 ちなみに、今年北海道で開催される「ねんりんピック」のキャラは、エゾナキウサギの「うっさん」。オッサンどもが「うっさん」の普及PRに努めているが、キャラなんか必要ないと思う。

 そういうことで、庭では先月サカタ種苗から届いた、クレマチスの「ピクトンズバラエティ」(モンタナ系)が、やっと一輪開花した。

 さて、今日は午後から飛行機に乗って出張である。